影おくり  06





 ジェラート屋を三軒はしごした後、とキルアは有名な観光スポットを飛行船の出発時刻ギリギリまで堪能した。
 季節柄もあり、オフシーズンの観光地は人も少なく、夏ならば何時間も並ばなくてはならない場所もすんなりと入ることが出来たのだ。
 ただ、としては手持ちの金が心許なく、ショッピングが出来なかったのが心残りではある。

「お金ができたら、また来たいなー」

 冬の夜は早い。予約した飛行船のツインで、すっかり闇に沈んでしまった町並みを見下ろしながら、は不服そうに口を尖らせた。

「あれだけ回ったら十分だろ?」
「まさかっ! まだに決まってるじゃない。全然買い物出来なかったもん」

 キルアが呆れた果てた表情をする。金遣いが荒いわりに、この弟は甘いものとゲーム以外にあまり執着がない。それなりにファッションを気にするが、母親の影響を強く受けたには遠く及ばないのだ。
 フラストレーションをぶつけるように、夕食用にと買い込んできたピザを口の中に放り込む。口の中でとろける濃厚なチーズの味に、途端に顔が崩れた。

「ん! このピザもおいしい」
「………うまいっ!」

 しばらく、二人とも目の前のピザを食べるのに夢中になり、黙々と手と口だけを動かした。
 先に手を止めたのはのほうで、ナプキンで手を拭うと、今度はデザートに取り掛かった。
 どっしりと重みのあるチョコレートを使ったケーキは、味のほうもこってりとした甘味があり、甘党であるも十分に満足することが出来た。
 濃厚なケーキを二切れ食べて、胃袋は十分に満足した。残りのホールケーキを消費していくキルアを眺めながら、飛行船に備え付けられているインスタントのティーパックをカップに入れた。
 ポットからお湯を注ぐと、安っぽい香りが立ち昇る。舌先に残る渋みも、実家の執事達が淹れてくれる紅茶とは比べ物にならないくらいチープな味だった。
 それでもは満足気に微笑む。
 毒の入っていない食事というのは楽で良い。
 どんなに毒に耐性を付けた体でも、常人の致死量を遙かに越えたゾルディック家の食事には、大なり小なり影響をこうむるのだ。
 キルアやより年下であるカルトなどは、まだ耐性が作りきれていないので、時折激しく嘔吐することもあった。

(カルト元気かな?)

 可愛がっていた弟を思い出し、は僅かに沈んだ気持ちになった。
 もちろん、キルアに付いてきたことに後悔はない。それは、の生きる意味だ。
 家族のことはみんな大切に想っているが、キルアは特別なのだ。他の家族にとっても、キルアが特別であるように。

(多分……すごく怒ってるでしょうね…)

 怒りが表に出るタイプのキキョウよりも、内に静かに怒りを燃やすカルトのほうが厄介なタイプだとは踏んでいる。カルトは特にキルアに心酔していたから、キルアが家を出ることを許さないだろう。

(思い切ったこと、しないといいけど)

 末っ子であるカルトに母は甘い。キキョウは自分自身が押し付けがましい性格であるのに、意外と自分を振り切って我を押し付けてくる相手には弱いところがある。カルトがこうと決めたことには、ストッパーの役割を果たせないだろう。

(カルトは、イル兄似なのよね)

 感情を露にせず、何事にも涼しい顔をしていながら人一倍執着心の強い長兄を想い、は苦笑した。
 暗殺業などという、真っ当とは言い難い仕事を生業にしているので、ゾルディック家の者たちは使用人まで世間の基準からすれば大きくずれている。良くも悪くも我が強く、くせ者揃いなのだ。その中でもイルミほど常軌を逸脱している人間はいないだろう。
 あの執念深い気質だけは、も苦手だ。イルミと似た部分を持つカルトの将来を思うと、心配になるのだった。
 キルアがケーキを食べ終えたとき、カチリと甲高い音を立ててカップがポットと擦れ合った。
 異変に、キルアとは目を見合わせる。
 周囲の気配を窺うと、いつの間にか外壁を叩く風の音が激しくなっていることに気付いた。
 10分もしない内に、飛行船が徐々に揺れ始める。始めは僅かな揺れだったのが、すぐにテーブルの上の物が落ちるほど激しい揺れに変わっていった。

「ご飯食べたあとで良かったね」
「だな。この中で食いたくはないしなー」

 ミシミシと大きな軋みを立てて、今や飛行船は立っているのも困難なほど激しく振動していた。前後左右に揺さぶられ、個室の調度品は宙に浮き、壁や床に打ち付けられている。飛んでくる雑誌やカップを避けながら、はポットを手に取った。
 揺れを感じさせない所作で、片手に持つカップにお湯を注ぐ。

「キルアも飲む?」
「飲む」

 がポットを傾けると、激しく波立つお湯は正確にキルアの手のカップに注がれた。
 洗濯機の中のように、あらゆる物が飛び交い、もみくちゃにされているというのに二人は顔色ひとつ変えずに器用にバランスを保つ。

「乱気流に巻き込まれたか? すげー、わざとらしいけど」
「そうね、わざと巻き込まれたって感じがする。いくらでも迂回できるはずなのに、真正面から巻き込まれるなんてお粗末すぎ」
「ふるいにかけるつもりなんだろうなー」
「応募者がバカみたいに多きからでしょ。ある程度数しぼるつもりなんじゃないの?」
「どれくらい残ると思う?」

 キルアの問いに、飛行船に乗り込むときに見かけた客の様子を思い浮かべてみる。外見だけを見ればいかにもな荒っぽい者もいたが、中身は大した実力はなさそうだった。少なくともが警戒に値すると感じた人間はいない。

「大したのいなかったじゃない。残るの、わたし達だけだと思う」
「やっぱそうかー……つまんねぇの」

 拗ねたように口を尖らせたキルアがぽいっとカップを放り投げる。床に落ちたカップは、派手な音を立てて二つに割れた。すでに床の上は割れた皿やガラスで足の踏み場もない状態で、今更カップの一つや二つが加わったところで何も変わりはしない。もっとも、は自分のカップがなくなるのは嫌なので、タオルで包んでリュックに詰め込んだ。
 電波障害が生じたのか、ふつりとテレビの画面が消え、砂嵐を映した。次の瞬間、横殴りの大きな揺れにテレビが壁から剥がれ落ちる。
 激しい衝突音に、は顔を顰めた。

「うるさいなぁ〜」
「いつまで続くんだ、これ」

 物が崩れ落ちる音だけではなく、部屋の外から男の野太い悲鳴が聞こえてくる。
 金属的な破壊音に阿鼻叫喚が混じった騒音は、耳障りの一言だった。
 益々激しくなる振動に、どうやら長丁場になりそうだとは溜め息を吐く。
 無視しようとすれば、無視することは出来る。だが、退屈な上に耳障りな騒音をBGMにしなければならないと思うと、げんなりしてくる。
 キルアは携帯ゲームで退屈しのぎをすることに決めたようだ。ソファの上に陣取って、ゲームに集中している。

(わたしはどうしようかな?)

 キルアのようにゲームも持っていないには、暇つぶしの道具がない。どうしようか、と周囲を見回す。

「あ、これでいいや」

 は向かってきた本らしき物を、軽々と片手で受け止めた。それは備え付けのファッション雑誌のようで、厚みと硬さのある雑誌がまともに当たれば大怪我をしていただろう。

 は雑誌をめくりながら、キルアの隣に腰を下ろした。
 


05← top →07




2007/08/05


まだ後少し、オリジ展開…ああ、早く試験に辿り着きたいのに!