影おくり  05





「……どうした?」

 待ち合わせ場所ではなく、直接部屋を訪れたを見て、キルアは開口一番そう聞いてきた。
 同じ高さにある見慣れた瞳が少しだけ不安そうな色を浮かべている。

(そんなに、態度に出てるかな…)

 キルアと会えてほっとしたのだろう。微かな震えが走り、今更ながら、身体が強い緊張感に強張っていたのだと知る。
 そっと肩を引き寄せられて、はゆっくりと身体の力を抜いた。凭れ掛かってもキルアなら揺らぐことなく受け止めてくれる。
 尾行の気配はなかったが、高まった警戒心がの声を小さくする。

「ちょっと酔ったみたい(詳しいことは後で話すから、とりあず早く出発しよう)」

 素早い耳打ちに、キルアは瞬時に合わせてくる。表情も声も、演技とは思わせない自然さだった。

「酔い止め飲んどけば良かったな。……もうすぐ着くから早く下りよう」

 姉を心配する弟を巧に装いながら、こちらの意図通り不自然にならない程度の素早さで飛行船を降りてくれる。
 目の前に来たバスに目的地もなく乗り込む。一刻も早く、飛行船から離れたかった。とりあえず、この場所から離れれば良い。
 バスは幸い空いていて、最後部座席が空いていた。キルアにエスコートされながらシートに座り、窓を開ける。冬の冷たい空気は、ヒーターに温められた過ぎた車内では清涼に感じられた。
 しばらく走り、尾行が完全にないと確信して、ようやくはキルアに向き直った。

「尾行は大丈夫みたいね」
「ああ。多分、大丈夫だろ。……どうしたんだよ?」

 真剣な表情で問われ、はすぐに返答できない事に気付いた。
 特に何をされたというわけではない。ただ、リボンを拾ってくれただけなのだ。
 が警戒した根拠は、ただひとつ。己の勘のみ。それも、相手が裏家業の人間で、かなりの腕を持つ人間だと感じたというだけである。
 落ち着いて冷静に考えてみれば、わざわざ声をかけてきたにも関わらず、その後接触を持とうとしなかった様子から、達を狙うブラックリスト・ハンターという線も薄いような気がした。

(暗殺者ではないと思うけど)

 ゾルディックに歯向かう気骨のある同業者は少ないが、それでも皆無ではない。しかし、暗殺者は忍びやかに密やかにターゲットを抹殺するもの。声をかける必要性がない。暗殺者、というのもしっくりくる可能性ではなかった。

「わたしにも良く分かんないんだけど……飛行船で、えらく強い人と会った」
「は? 強いって……」
「多分、イル兄くらい強いよ、あの人」

 イルミと同程度に強い―――その言葉に、キルアは言いかけた言葉を飲み込んだ。恐怖と不安と微かな喜びが混在している複雑な目を見詰めながら、はふるりと身を震わせる。

「リボン拾ってくれたんだけど……声かけられるまで、気配感じなかった。ちゃんと周囲を確認したのに」

 思案するときの癖で、キルアが指を顎先に当てる。その様子を見ながら、は記憶を反芻していた。
 ほんの一瞬、気を抜いた瞬間に声をかけられたのだ。その前までは、確かに青年の姿は見えなかった。幽霊のように、唐突に現れたとしか思えなかった。
 だが、あまりにもリアルな声、容貌、体温。そして、嗅覚に残る鉄臭い香り。
 幽霊であるはずがない。あれは、生身の人間だ。
 そして、また思考は堂々巡りを繰り返す。―――偶然か、否か。

「家からの追っ手って線はないだろうな」
「家の者以外の人間を差し向けるってことはないだろうしねぇ……」

 分からない。あの青年はいったい何の目的があったのか。それとも、全ては偶然なのだろうか。

「まぁ、でも、考えたってしょうがないだろ。材料が少なすぎる」

 キルアの言葉ももっともだった。分からない事が多すぎる。精度の低い推測は、考えるだけ無駄というものだ。
 それよりも、警戒しつつも考えを切り替えたほうがよっぽど生産的だ。

「そうね…偶然ってこともあるだろうし」

 ゾルディック家の顔写真は出回っていない。外見だけを見れば、もキルアも見目の良いただの子どもにしか見えないだろう。あの青年が、のことを知らずに声をかけたことも考えられる。

「じゃ、ごはん食べに行こう! お腹ぺこぺこ!」
「だな。……次で下りるか」

 は下車用のボタンを押すと、ピンポンと軽やかなチャイムが鳴った。
 リュックから飛行船で買ったパンを出すと、キルアと半分にして食べる。あっという間に平らげていくのを呆れた気持ちで見やりながら、が最後の一口を食べ終わったとき、タイミング良くバスが止まった。







 アガキ市名物のボリュームたっぷり骨付きステーキで空腹を満たした二人が最初にしたのは、ザバン市に向かう飛行船のチケットを取ることだった。バス停の近くにある、タバコや菓子などを売っている小さな店はチケット類も販売している。一番最初に目に付いた店に二人は入った。

「運がいいね。最後の2枚だったよ」

 中年の店主の言葉に、キルアと顔を見合わせる。どうやらハンター試験への順路として、アガキ市を使う者は想像していた以上に多いらしい。

「考えることは皆同じってわけね」
「間に合って良かったな」

 店主に向けてにっこりと微笑みチケットを受け取ると、サービスだと言ってペットボトルのジュースをもらった。
 とびきりの笑顔を向けて、「ありがとう」と言うと、横でキルアが呆れた表情をしているのが見える。笑顔はそのままに、ぎゅむっと爪先を踏み付けた。

「―――っっ!!!!!!」

 声にならずに足を抱えて飛び跳ねるキルアを置いて、店の外へ出る。
 天気は快晴。時刻はまだ昼過ぎ。チケットが取れた飛行船の時刻は夕方だった。
 遊ぶ時間はたっぷりある。
 チケット共に購入したガイドブックを開くと、アガキ市のマップと、有名な観光名所が写真付きでピックアップされている。

(さて、どこから回ろうかしら?)

 アガキ市というのは、昔は王の住む首都であり、その為、歴史的な建造物や美術館が数多く存在している場所らしい。貿易の中心地でもあり、東西の食文化が入り混じった名物料理は世界七大料理にも謳われる。特にデザートは絶品で、中でもジェラートは舌の肥えた美食ハンターでさえも認める味とか。

「いきなり何するんだっ!!!」

 ようやく追い付いたキルアに、先ほど店主に向けた完璧な笑みを向ける。

「あら、何のことかしら?」

 コトンと小首を傾げてみせる。は自分の容姿が、他人からどのように見えるのか熟知していた。
 何を言っても無駄だと悟ったのか、キルアは顔をしかめるもそれ以上追求してこなかった。同じ年の弟が、自分には事の他甘いと知っての所業である。

「キルア、ジェラート食べにいこう」

 キルアの腕に腕を絡めると、は返答を待たずに歩き出した。
 


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2007/07/01


思いの他、ハンター試験までが長くなってしまいました。
しかも、まだしばらくオリジ展開です(><)