影おくり  04





 職業柄目覚めの良いは、到着時刻のちょうど2時間前に目を覚ました。一度目が覚めると、眠気は急速に引いていく。
 真上に見える天井がいつもよりもずっと低く、背にあたるベッドが硬くて微かに身体が痛むことに、飛行船の中だと思い出した。

「んーっ!」

 大きくのびをして、凝った身体を解きほぐす。肩から背中に微かな違和感を感じるが、それもすぐに消える程度だ。仕事となれば野宿も辞さない家業なだけに、もその気になれば山に身ひとつで入っても何日も過ごせる訓練を受けてきた。それでも、仕事以外でこんなに安っぽい寝床に寝るはめになったのは初めてで、どことなく違和感を感じる。やはり、実家のふわふわのベッドが最高に気持ちが良い。実家のベッドに未練を感じながら、備え付けの鏡を覗き込んだ。
 そこには、癖のある銀の髪を腰まで伸ばした少女が映っている。顔色も悪くない、いつも通りの自分の顔があった。
 仕事の疲れを感じさせない自分自身に、は苦笑してしまう。命を賭けたやり取りも、何度もこなせば日常になる。その点、は間違いなくゾルディック家の人間であった。
 ひどい寝癖はないことを確認して、ぐりぐりと肩を回しながらシャワーへと向かう。熱めのシャワーを浴びて、しっかりと目を覚ますと、部屋でぼーっとするのも勿体無く感じ始めた。

(お腹すいてるけど、中途半端な時間よね。飛行船のマズイご飯より、町で降りて美味しいもの食べたほうがいいし)

 仕事が絡まないとなると寝汚いキルアは時間ギリギリまで眠っているだろう。起こしても良いのだが、朝からキルアとケンカする気分でもない。は暇をもてあましてしまった。
 いつもより時間をかけて、丁寧にブラッシングする。服も鏡できっちりチェックした。
 色合いが綺麗で気に入っている若草色のワンピースに、白いレースのボレロ。髪はサイドに流して、ピンクのレースリボンでふんわりと結ばれている。

「ん、良し」

 どこをどう見ても無害な少女の出来上がりだった。
 が暗殺一家の娘だと看過する人間はいないだろう。ほっそりとした体躯の、華奢な腕で、容易く人を殺せるのだと分かる人間がいるとすれば、それは同じ世界に身を置く人間だけだ。
 そんな存在とそうそう遭遇することもないだろう。闇の世界は普通の世界よりもずっと狭く、それ故に闇を抜け出せば簡単に出会うことはないものだ。

(昨日はすぐ寝ちゃったから、いろいろ見てまわろう)

 キルアが起きてくるまで、飛行船探索にあてることに決めたは、部屋を出るとまず食堂へ向かった。







 こじんまりとした食堂には、まだ人がまばらにしか集まっていない。メニューに並ぶのは定番の料理。値段は飛行船の中なので、一般的な料金よりは高めで、出されているものを見る限り美味しそうとは思えなかった。
 それでも食事の匂いに空腹中枢が刺激され、きゅうっと胃が収縮した。

(うー、お腹すいた!)

 育ち盛りの12歳には、朝食抜きはきつい。家で出されるボリューム満点の朝食を思い出し、は顔をしかめた。もちろん、ゾルディック家の食事にはもれなく毒が付いてくるが、幼い頃から身体を慣らさせているにとっては害のあるものではない。味と素材の良さに関しては、文句のつけようのない料理が出てくるのだ。
 長く留まっているとますますお腹が空いてきそうで、は早々に食堂から抜け出した。

「時間はまだあるし、取りあえず一周してみようかな」

 大型飛行船ではない為、遊戯施設はシィップ・シアターがひとつしかない飛行船を一周するのに時間はそう掛からない。はのんびりと、足を進めた。
 取りあえず、売店に着いたら二人分のパンと飲み物を買おう。町に下りたら美味しい食事を出す店を探して、ちゃんとした食事をすれば良い。

(あ、ガイドブックもあったら買おう)

 ハンター試験まで余裕がある。せっかく遠出してきたのだから、観光もしてしまおう。仕事以外で遠出をしたことなどないし、仕事のときは、終わればすぐに戻らなければならない。ゆっくり町を見て回る余裕などなかったのだ。
 弾んで気持ちで歩き出す。デッキへ出ると強い風が吹き抜けていた。
 せっかくセットした髪が、突風に掻き回されていく。埃が目に入りそうになり反射的に目を瞑る。慌てて髪を押さえるも風に煽られ、結んでいたリボンが解けて流されていった。

「あ」

 気を取られリボンに手を伸ばすのが遅れた。風に乗って、ピンクのリボンはの身長よりも高い空間を漂っている。
 素早く周囲にを確認する。「普通」の少女が2メートルも飛び上がれるはずもない。目立つのはの本意ではなかった。幸い、周囲に人気はない。デッキに出ているのはだけだ。
 飛び上がってリボンに手を伸ばそうと両足に力を込めたとき、頭上のリボンを男の手が掴み取った。

(―――っ、なっ!!!)

 心臓が飛び出すような驚愕に襲われ、声を出しそうになるのを必死に止める。咽喉の奥で噛み殺せなかった驚愕の声が、無様に唸った。

「……はい、これ君のだよね?」

 見上げねばならない距離に、その青年の顔はあった。口元に柔和な笑みをたたえて、手にしたリボンを差し出してくる。内心の思いが顔に出てない事を祈りながら、はほっとした表情を作った。

「…はいっ! ありがとうございます」

 同年齢の少女が浮かべるであろう表情を作りながら、差し出されたリボンを受け取る。お気に入りのリボンが手に戻っても喜びは一向に湧いてこなかった。

(……気配、感じなかった)

 目の前の男が、手を伸ばすまで。すぐ傍らにいたというのに、気付けなかったのだ。
 ゾルディック家でも特に気配に敏いルキアに至近距離で気付かせないほど、完璧に気配を絶っていたのだ。唯人であるはずがない。
 警戒心で尖りそうになる神経をなだめ、心にもない言葉をつむぐ。相手の狙いはどこかなのか探らなければならない。

 ―――偶然か、否か。

「風が強いから気をつけなきゃ」
「はい、びっくりしちゃって……気をつけます。取ってくださって、ありがとうございました」

 青年を不躾にならない程度に観察しながら、照れを装って顔を俯ける。長い前髪が下りて、表情を読みにくくするはずだ。
 一番に印象的なのは、陽の光を反射する艶々の黄金の髪。
 あんまりにも綺麗に明るい金髪は、母が持っていたアンティークドールを思わせた。童顔で優しげな顔立ちは、若手のモデルか俳優と言っても通じそうだ。
 端整すぎて個性の薄い、「美形」と思い描く要素のみで形作られた青年は、むしろ違和感を感じさせるほどに無邪気な微笑みを浮かべていた。

(外見通り…って事はなさそうね)

 ごくごく薄くなってはいるが、ほんの僅かに匂う香。には馴染み深い香り。
 これは―――血の、匂い。
 青年が怪我を負ったものでもない。それにしては、あまりにも匂いが薄い。医薬品の匂いは皆無なため医療従者でもない。
 可能性があるのは、返り血。それも自らの手で屠った者の匂いだ。
 子どもを前にしても、一部の隙もない佇まい。間違いなく、強い。

(今はまだ…とうてい敵わない)

 冷や汗がこめかみを伝っていく。表情を繕いならが、不自然な反応をしないようにと気を張り続けるのは、とんでもなく気力を消費する作業だった。ましてや、明らかに格上の相手である。

「本当にありがとうございました」
「どういたしまして。気をつけてね」

 薄っぺらな微笑みを互いに浮かべながら、会話を切り上げ、青年から離れる。走り出したい衝動を堪えて、ゆっくりと歩み続ける。背後の気配を探りたいが―――やぶ蛇になる危険性を思うと躊躇いが勝った。それだけの手練だ。警戒心はどれだけ高くても、高すぎるという事はない。何よりも、無用に興味を持たれキルアまで巻き込むのだけは避けたかった。
 緊張を気取られぬように、今まで通りぶらぶらと船内を散策しているように見せかけながら気配を探る。目に見える変化も、勘に引っかかる危険信号もない。それでも、すぐにキルアの元へ行く気にはなれず、売店に立ち寄って人数を悟らせぬ為に一人分のパンを買い込んだ。
 時間ギリギリになって、ようやくキルアの部屋へと足を向ける。
 僅かな長さしかないキルアの部屋へ辿り着くまでの距離が、にはいやに長く感じた。



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2007/06/25


いえ、彼らが出るのがずっと後なもので…つい(^-^;
金の髪の青年は某旅団員です(笑)