影おくり  07





 結局、乱気流を抜け、飛行船の揺れが収まったのは翌日の早朝になってからだった。
 キルアとの部屋も、調度品が飛び交い、壊れたガラスや陶器が散乱した酷い有様だ。だが、過酷な暗殺家業の訓練を受けてきた二人にとっては、眠りながら飛んでくる物を避けるのは造作もないことだった。
 暇つぶしにも飽きた二人は早々に眠ったおかげで、体調は至って良好だ。目覚めもすっきりとしていた。
 もっとも、他の乗船客はそうはいかなかったようだ。客室から一歩出ると、床にうずくまったままの人間がごろごろしている。立ち上がり、歩いている人物は一人もいなかった。
 吐瀉物の匂いに眉をしかめながら、はキルアとデッキへと出た。外は昨日の天候が嘘のように晴れ渡っている。

「全滅かしら?」
「じゃねーの。動ける奴ら、誰もいないじゃん」

 まともに動けているのは、飛行船の従業員達と、達だけのようだ。

「レベル低すぎ。こんなもんなの?」

 手応えがなさ過ぎて拍子抜けする。ハンター試験の前哨戦とはいえ、あまりにも簡単過ぎるうえ、志望者の殆どが使い物にならなくなっている現状は好ましくなかった。
 自身は自分でそれ程好戦的な性質だとは思わない。しかし、心のどこかで競い合う相手を望んでいるのも確かだった。
 キルアが答える前に、の視線が動いた。

「なぁにぃ! 今年の挑戦者は情けないわねぇ……これくらいの乱気流でヘバるなんて」

 カツカツと派手に靴音を立てて現れたのは、燃え上がるような真紅の長い髪を腰まで伸ばした女性だった。
 細面の白い顔は、派手だが色気のある美女と言えるだろう。
 ピンヒールのエナメルブールも黒ければ、腰を大きなベルトできゅっと絞られた制服も黒だ。頭に載せている帽子も黒く、頭から足先まで全身黒尽くめの衣装は飛行船の船員というよりもボンテージスーツの女王様のように見える。
 しかし、その胸の階級章からこの女性が船長であることが知れた。

「残ったのはガキが二人! 後は全員全滅だなんて、全く、嘆かわしいわねぇ。この程度でハンターを目指すなんて、身の程知らずにも程があるわ」

 船長と思わし女性は外見そのままの、高圧的な口調で吐き捨てた。
 手厳しい侮辱の言葉に、蹲っていた何人かが立ち上がる。

「貴様……我々を愚弄するのか!」

 顔面蒼白ながら怒りに顔を歪める男は、己を取り繕う余裕がない分、昨日よりもはるかに陰惨な顔つきをしていた。

「はっ! 弱い犬ほど良く吼えること」

 丸腰の女と、侮ったのだろう。男は怒りで理性を蒸発させ、女へ掴みかかった。
 女は悠然と男を見返し、構える様子もない。
 とキルアの視線が向けられたのは、襲い掛かろうとする男でもなく、また悠然と待ち受ける女でもなかった。

「……っ! ぐうっ!!」

 男が女に触れるより速く、鋭く空気を引き裂く音がした。
 男は肩を押さえ、無様に女の足元へ倒れこむ。その肩には、柄の部分まで細身のナイフが埋まっていた。

「わたしはこの飛行船の船長よ。飛行船では船長が絶対。乗船した以上、許可なくわたしに触れるのは許されない。……まぁ、ナイフの的になりたいのなら別だけどね」

 ルージュに彩られた唇を、にぃっと半月の形に吊り上げた女に、それまで殺気だっていた乗客が静まり返った。
 乗客達の眼では、どこからナイフが投ぜられたのかさえ判別つかなかったのだろう。落ち着きなく、キョロキョロと周囲を見回している。
 船長に近づけば何処からとも知れぬナイフの的にされるのだ。近くにいた乗客達は身を引き、じりじりと船長から離れて行く。
 一瞬で闘う意欲を無くしたハンター志望者達に、は軽い失望を感じた。

(弱い弱いと思ってたけど、一人も骨がある奴がいないなんて……なんか、張り合い感じなくなるなぁ)

 ハンター志望者達よりも、目の前の船長と、このナイフを投げた人物のほうがよっぽど興味深い。
 隣のキルアと目を合わせると、キルアも考えていることは同じだと分かった。

「ふーん。なかなかやるじゃん」
「三階からここまで一投で命中してる……良いコントロールね」

 未だに男の肩に刺さったままのナイフをまじまじと覗き込む。血の一滴も滲んでおらず、それだけナイフの切れ味と衝撃の大きさが分かった。柄のシンプルで頑強な造りにはにも見覚えがあった。

「あ、これ、オグマ社製だわ」
「オグマのナイフは切れ味がいいからなー。おっさん運が良いぜ。神経さえ傷付けてなければすぐに治るから」

 戦意のすっかり失せた目をした男は、二人の言葉に肩を震わせた。この異常な状況に左右されない二人の態度に、呆然とした表情をしている。

「あら、あなた達分かるの?」

 ゆったりとした足取りで、船長が近づいてきた。噎せ返るように甘い香水の香りが吹き寄せてくる。
 この女船長がどんな人となりであるにしろ、絶対に暗殺者ではない。付回して相手の寝首を掻くタイプじゃない。こうまで香りを撒き散らしているのでは、狙う相手に気付かれてしまうだろう。血の気は多いかも知れないが、恐れる必要のない相手だとには分かっていた。
 彼女に対して、の本能は恐怖を感じないからだ。

「投擲に向いてるナイフは少ないもの。切れるナイフは更に少ない。それでいて、黒の革で出来た実用一点張りの柄だったら、十中八九オグマ社製でしょ」
「当たり」

 くすりと、船長が笑う。男ならば見惚れたかも知れない、艶かしい笑みだった。

「ナイフが好きなの? お嬢ちゃん」
「別に。家業柄、詳しくなっただけ」
「そう」

 船長の興味は完全にハンター志望者から達へと移っていた。先ほどナイフに貫かれた男すら眼中にない。じっくりと上から下まで二人を検分する視線に、は微かな不快を感じた。何となく、居心地の悪い、ねっとりとした視線だ。

「あなた達なら平気かもしれないわね。……三時間後に、乱気流にあたるわ。昨日のよりも三倍くらいの勢力があるわよ……降りたいのなら、今のうちに降りることね」

 後半のセリフはデッキにのびているハンター志望者に向けられた言葉だ。
 それを聞いて、志望者達が悲鳴を上げる。昨日以上の乱気流に耐えられる自信のある者など、一人もいないはずだ。
 言いたいことを言い終えたのか、船長は既に踵を返している。

「また乱気流にあたるのかよ。つまんねーの」

 昨日のドタバタがまた繰り返されるかと思うと、は憂鬱になった。別に大きな支障があるわけではないが、食事時に物が飛び交うのは頂けない。
 大したスリルを味わうわけでもない前哨戦に、は既に退屈していた。



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2008/05/30


前回更新からずいぶんと間が空いてしまいました(^-^; まだ原作沿いにすらなってませんね。月1更新を目指して精進します。
ようやくこの章の終わりが見えてきました。あと、2、3話で終わるかと。