影おくり 01
本気を出した二人に追いつける者は、執事の中にはいなかったようだ。 はゾルディック家の山道を走りながら、背後の気配を探る。追っ手の気配はない。どうやら上手く振り切れたようだ。 長兄と父親は仕事のため不在だったのが幸いだった。 キルアももスピードには自信があるが、それでも兄と父の二人には敵わない。あの二人に追われていればゾルディック家を出ることすらままならないだろう。 偶然ということは無いだろう。キルアは家出を成功させるために、周到にタイミングを計っていたに違いない。 動くことを嫌うミルキならば軽傷であっても追っては来ないだろうし、母であるキキョウも手傷を負っているならばすぐには追えない。追おうとしても、大切な当主の奥方を負傷したまま外に出す執事達ではないだろう。 時々、獣の気配を感じたが大概は襲い掛かってくることもなかった。獣は人よりも相手との実力差を悟ることが出来る。勝ち目がないと悟っていながら、襲い掛かってくることはない。人間などより、よほど賢いとは思っている。 「あっけなーい」 「あぁ?」 手ごたえが無くて、つまらない。家を出ることがこんなにも簡単だということに拍子抜けする。 「全然追いついてこないんだもん。ゴトーとかだったら、追いついてくると思ったんだけどなぁ?」 「アホか。ゴトーは執事長だぞ、家を放っておかねーって」 「……そっか」 言われてみれば、当然のことだった。執事で一番の腕利きであるゴトーは、それだけに家を空けることなど出来ない。ましてや、主人である家の息子と奥方が負傷しているとあっては尚更だった。彼にはゾルディック家の家族を守るという職務があるのだから。 そしては、キルアの頭の回転の早さに感心した。ゴトーは強い。主人である自分達を殺すことはゴトーには不可能なことだから、逃げ切ることは出来るだろうが応戦するとなると無傷ではすまなかっただろう。 「あら♪」 近づいてくる気配に、の心は弾んだ。 ゴトーではない。けれど、この気配をは良く知っている。 次の瞬間、二人目掛けて小石が放たれた。常人には避けることはおろか、見ることも不可能だっただろう。弾丸のような石は、地面に埋まり草が千切れて跳ねた。 傷付けることが目的の攻撃ではない。狙いは、足止め。 当然のように石を避けた二人は、何事もなかったように走り続ける。 「お待ちください。キルア様、様」 現れたのは、執事服に身を包んだ少女。特徴的な髪型をした彼女は、困惑した表情で二人を見ている。 眠っている時間帯であったろうに、仕事着に着替え、自分達を追ってきた少女には笑みを向けた。 「素晴らしいわ、カナリア。着替えてから私たちに追いつけたなんて」 「恐れ入ります様。……奥様がお呼びです、お二人とも屋敷にお帰りくださいませ」 「やだね」 「キルア様……」 益々困った表情になるカナリアが可哀想で、はキルアを睨みつける。年の近い同性である少女が、は好きだった。友達になることは出来ないとしても、好意を寄せることはこちらの自由のはずだ。 「家に戻る気ねーから。おふくろにも伝えといて」 きっぱりと言い捨てるキルアに、カナリアは悲しそうな表情をする。 「ごめんね、カナリア」 「様……」 家を出るという事は、カナリアにも会えなくなるという事だ。途端に淋しさが込み上げてきて、はカナリアを抱き締めた。突然抱き締められるなどとカナリアは予想もしていなかったのだろう。大きく瞳を見開いて、腕の中で硬直している。服越しに伝わる速い鼓動に、クスリと笑みが漏れた。大好きなカナリア。使用人と雇い主という垣根は越えられないと言いながらも、カナリアの眼は使用人という立場を越えて優しかった。 逃げる二人を、カナリアは立場上からは本気で、それこそ殺す気でもって足止めしなければならないのだろう。しかし、カナリアは二人を傷付けることを避けた。 心遣いがじんわりと胸に沁みる (ごめんね。このまま逃げたら、あなたが怒られちゃうから) 腕の中で硬直するカナリアの首筋に、加減した力で手刀を落とす。手ぶらで帰れば怒り狂った母親にどんな折檻をされるか分かったもんじゃない。けれど、手傷を負わされていればそこまで叱責されないで済むだろう。 「キルア、バックから水出して」 「ったく、手加減したんだろうな?」 「当たり前でしょ、ほら、早く」 気を失っているカナリアを心配そうに見る弟に指示を出しながら、力の抜けた体を担ぎ上げ、獣が寄り付かない特別な匂いを放つ樹木に寄り掛からせた。朝までカナリアが目を覚ますことはないだろうが、そのうち執事達の誰かが捜索してくれるはずだ。ポケットからハンカチを取り出し、キルアが投げてきたミネラルウォーターを含ませて即席冷パックを作るとカナリアの首筋に当てた。 「うわ、痛そー…お前、マジ馬鹿力」 「しょうがないでしょ。あんまり手加減しすぎても、カナリアには効かないだもん」 カナリアはまだ執事見習いだが、執事達に仕込まれているので油断ならない実力がある。手加減し過ぎては気絶させるまでに至らないのだ。 「バイバイ、カナリア」 小さく呟くと、はカナリアへ背を向ける。隣の弟を見ると、ほんの少し曇った表情をしていた。 キルアにとっても、カナリアは大切なのだ。 センチメンタルな気持ちになるが、二人とも気持ちを切り替えなくてはならないと知っていた。 「急ぐぞ」 「うん」 キルアから放り投げられたバックを受け止めて、は走る速度を上げた。
2007/05/16
主人公はカナリアちゃんが大好き。 |