影おくり プロローグ
かなりやっかいな仕事を終えたばかりの少女は、誰にも会いたくなかったので真っ先に私室に向かった。 広い屋敷内は、その気になれば誰にも会わずに私室に辿り着くことが出来る。見慣れた扉を開いて、着替えもせずにベッドに横たわる。しばらくして、いつもは静かな本宅の奥に人の騒がしい気配が生じていることに気付いた。 (思った以上に疲れてる。今まで気付かなかったなんて) 溜め息を吐いて、ベッドから身を起こし気配を探る。 賊でも入ったかと思ったが、それにしては騒ぎが大き過ぎた。単なる賊程度で、ゾルディック家の執事全員が出動するなど有り得ない。 (余程の手練か、あるいは……) 思い浮かぶ可能性は一つ。もちろん賊の可能性もあるが、騒ぎ方からはもう一つの可能性が高いと踏んだ。侵入者を探すよりも、もっと切羽詰った感じがするのだ。 ほどなく、は自分の直感が正しいことを知る。 「よっ! お帰り」 「ただいま」 開いていた窓からひらりと入って来たのはキルアだった。愛用のスケボーを片手に、リュックを背負っている。微かにツンと嗅ぎ慣れた血臭が香った。匂いの薄さから、血液の量は多くはなかったのだろうと想像がついた。仕事の匂いではない。 「いきなりだけど、オレ、家出るわ。には言っておこうと思ってさ」 ちょっとその辺まで遊びに行って来る、その程度の軽さで告げられた言葉に、は微かに息を呑んだ。 それでもシュミレーションしていたよりはショックは少なかった。はこの同じ年の弟が、家を出たがっていることを知っていた。今でなくても、いつか必ず訪れたであろう別離の時。それが、今訪れただけの事だ。 「ちぇっ! つまんねー、もっと驚くかと思ってたのに」 淡白なの反応に、キルアが拗ねた表情をする。白皙の面に、釣り上がった大きな瞳。ふわふわと柔らかい銀髪が頬を縁取っている。まだ幼いが十分に美しい少年がする甘えた表情はひどく魅力的だった。その魅力の効果はにも例外ではない。愛しさが湧き上がり、微かに笑みが浮かんだ。 弁が立って小憎ったらしい弟。それでも、にとっては誰よりも愛しい家族で、半身だった。 とキルアは二卵性双生児だ。ゾルディック家の子どもは学校に通うことがない。全てゾルディック家が雇った家庭教師により教えられ、同年齢の子ども接する機会など皆無だった。だからこそ、ずっと側にいたキルアとの絆は父よりも母よりも、暗殺術の師である兄よりも深い。 弟の真意を探ろうと、無言でキルアの瞳を覗き込んだ。そこには、キルアそっくりの顔をした自身が映っている。髪が長い以外は、殆ど同一人物に見えるくらいに二人は似ている。 二人の繋がりは決して消えない。ほどけない。 こうして外見にも、くっきりと刻まれているのだから。 キルアは口調こそ軽かったものの、その瞳に浮かぶ覚悟は本物だった。確かめるまでもなくはキルアの本気を知っていたが、12年住み慣れた生家を出るというのは生半可な覚悟で出来るものではなく、瞳を見ることで決意の切っ掛けが欲しかったのだ。 (嫌だ、わたしキルアよりずっと臆病) キルアはたった一人で決意したというのに、にはそれが出来なかった。キルアは家を疎ましく思っているが、は家を嫌ったことは一度としてなかった。 それはとキルアの立場の違いもあっただろう。キルアは時期当主として過度な期待と愛情の対象だった。女で、跡継ぎ候補から最初から外れているとは違うのだ。 家はひっくり返ったような騒ぎになっている。本気でこの家を出るのなら、一刻も無駄に出来ないはず。それでも、キルアはの元に来てくれた。 その事実がには嬉しい。 「それで、みんな騒いでるの?」 「うん。ブタくんとお袋、刺しちまったから」 「ふうん」 悪戯が成功したときと同じ表情に、もクスリと笑みが零れる。さぞかしキキョウとミルキは怒り狂っていることだろう。キキョウに日々振り回されうんざりしているにとって、キキョウの不意を付けたことは愉快だった。 (ああ、でも母さんは喜ぶかも) いくら油断していたとはいえ、キキョウに手傷を負わせることが出来るほどにキルアは強い。暗殺術が全ての基準のこの家で、キキョウがキルアの手際を喜ばないはずがない。 「母さん、喜んでた?」 「もち。兄貴は怒り狂ってたけどな」 刺した、ということはミルキにとって大したダメージでないだろう。何しろ、小型ナイフであれば内臓に達しないほどの脂肪の層がある。 「見たかったのに、残念」 の言葉に、キルアはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。その顔が、急に引き締まった。騒ぎはどんんどん大きくなっている。窓の外に、執事達が駆け回って姿が見えた。時間はもう、さほど残っていない。 キルアはふっと視線を逸らし、窓枠に手を付いた。行くつもりなのだ。 「オレ、もう行くわ」 「どこに?」 「んー…何も考えてねーけど、取りあえずハンター試験受けようと思ってる」 「そう、面白そうね」 手近にあった鞄にケータイと財布と衣類を詰め込む。キルアのスケボーと一緒に買ったインラインスケートも入れると、準備は完了だ。 「?」 驚愕に大きく見開かれた瞳に、はにっこりと完璧なスマイルを向けてやった。 小さな頃からずっと側にいたのだ。離れることなんて考えられない。自分は弟の影。影は本体と離れては存在し得ない。そんな単純なことも分からない弟が、何だか可笑しい。 「どうしたの? 行くわよ」 「はぁーっ!? おまっ、付いてくるつもりかよっ!」 「当然でしょ。何言ってんの」 「……兄貴に怒られるぞ」 「その時はキルにそそのかされたって言うから平気」 「オレは、本気で出てく」 「わたしも、本気だよ。キル馬鹿じゃないの?」 「はぁ!?」 顔を真っ赤にして怒り心頭といった風情のキルアを見て、は溜め息を吐いた。 この弟は、まだ分かっていないのだ。 「わたしの望みは、キルの望みだから」 視線に揺るぎない力を込めて見詰める。キルアは口を開きかけて……諦めたように閉じた。説得が無駄だと悟ったのだろう。 「足引っんなよ、そっこー見捨てるかんな」 「誰に言ってるわけ? キルこそ、ヘマしてもフォローしないからね」 キルアが窓から外に飛び出した。はそれを追いかけ、窓枠を蹴り出し外へ身を翻す。頬を刺す風は冷たく、部屋の温もりから隔絶されている。ここから先は、二人は家の庇護を受けることは出来ないのだ。自分の足で立っていかなければいけない。 それは恐ろしく、けれどそれ以上に心躍る事実だった。 さあ、逃亡劇の始まりだ。
2007/05/16
主人公の外見は髪の長いキルアです(笑) |