「……しまったっ! やっべえっ!!!」

 仕事(盗み)の成果は上々で、その上久々に手応えのある連中とやり合えたとあってノブナガは浮かれていた。それは他の旅団員も同様で、仕事の後は仮宿でのお決まりの、いつもよりも上機嫌の宴会が繰り広げられていたのだ。
 酒好き、騒ぎ好き、宴会好き。おまけに獲物は上玉、予想外に歯応えのある相手でフラストレーションの発散も出来たとあって、ノブナガの酒のピッチは自然と速くなっていった。酒豪というよりはザルのウヴォーギンもハイペースで酒を空けていく。それにつられて、周りの人間もついついペースが速くなっていく。
 一時間も経った頃には、幻影旅団一行はすっかり酔っ払い集団と化していた。
 そんな中、しこたま酔っ払っていたはずのノブナガが突然大声を上げたのだ。酒を酌み交わしていたメンバーの手もピタリと止まり、視線はノブナガに集中する。
 ノブナガは突然叫んだと思いきや、今は頭を掻いて唸っている。幻影旅団の団員ともなれば、余程のことがなければ恐怖など感じない。生物の本能のである、己の「死」ですら恐れていないのだ。もちろん旅団員であるノブナガも例外ではない。
 そういう極めて恐れるものの少ないはずの人物が、顔面を蒼白にして震え上がっている。ヒゲ面のおっさんが顔を青白くし、ブルブルと震えている様はシュールでさえあった。
 仲間達の生温い視線の中、ノブナガの苦悩は益々深まっているようだ。冷や汗の滲んだ手で、携帯を掴み、生唾を飲み込んだ。
 震える指先が、携帯を操作する。マナーモードが解除され、着信履歴が数件画面に浮かんだ。
 おそるおそる携帯を耳に押し付けノブナガに、半眼になったマチが嫌そうに質問した。

「ちょっと、ノブナガどうしたんだい?」
「……んだよ? 今、忙しいんだ」

 酒盛りの手を止めて、この場にいる全員がノブナガを見詰めているのに気付いていないのか。その余裕すらなさそうなノブナガの様子に、マチは溜め息を零して言葉を引っ込めた。

「わりぃ! すまない! 許してくれ!!!」

 長いコール音の果てに、相手が出たのだろう。ノブナガは開口一番そう叫んだ。
 今にも土下座してしまいそうな豪快な謝りっぷりである。
 しかし、応えはなく、携帯越しにもおどろおどろしいオーラが感じられるような沈黙が続いた。
 先程より更に大量の冷や汗をかきながら、ノブナガは必死に受話器越しの相手への哀訴を募る。それに反比例するように仲間達の目は冷ややかさと呆れを増していくことに当の本人は気付いていないようだった。

「オレが悪かった! すまねぇ! 本当に悪かった!」

 数十回目の謝罪の言葉の末に、ようやく電波の先は沈黙を破った。耳の良い旅団員は、ノブナガをここまで怯えさせることが出来る相手とはどんな人物かと好奇心に耳を澄ませる。

『あら、ノブナガさんは謝るようなことをなさったんですの?』

 落ち着いて涼やかな中音の声音は、女性のもの。言葉は丁寧で、語気も荒くはない。しかし、その裏側に込められた怒りは半端なものではなく、聞いてしまった旅団員も軽い戦慄を覚えた。

「………いや、その、あのだなぁ……」

 しどろもどろなノブナガに、女性の声が追い討ちをかける。

『わたくしとの約束を破る、それなりの理由が、もちろんおありなのでしょう?』

 ノブナガの顔色は蒼白を通り越して紙のような白さを示しつつある。もはや、他の団員もノブナガに呆れた視線を送ることはしなかった。全員が電話越しの気迫に飲まれてしまっている。

「うっ! ………すまねぇ! 実は、すっかり忘れちまってたんだ!」

 圧力に耐え切れず、バカ正直にぶちまけたノブナガにマチが小さく「アホ」と呟く。いつもならマジ切れ寸前のケンカになるはずだが、そんな余力は誰にもなかった。周囲も固唾を飲んで成り行きを見守る。

『はぁ………残念ですわ』
「すまねぇっ!!! 何でもするから許してくれっ!」
『……まぁ、本当ですの?』
「ぐっ……ああっ!!! 男に二言はない!」

 死地に赴くかのような決死の表情のノブナガに対して、女性の声は穏やかなままだった。

『では、お詫びのキスをしてください』
「……なっ!?」
『誠意、みせてくれますでしょう?』

 微かに悪戯っぽい響きを含んだ声に、その場に居合わせた全ての人間がにっこりと微笑む女性をイメージした。唯一、電話の相手の容姿を知っているノブナガは顔中を真っ赤にしながら携帯を壊さんばかりに握り締めている。
 選択肢は二つ。
 仲間の前でキスをするという恥を晒すか、それを退けて自らの体面を保つか―――もっとも、既にノブナガの面子などあってないようなものにまで落ち込んでいるのだが。
 本人にとっては至極深刻な選択を突きつけて、女性は沈黙する。その沈黙が、ノブナガを突き動かした。

「わ、悪かったっ!」



 ―――チュッ!

 可愛らしいキスのリップノイズを立てて顔を真っ赤にしたノブナガに、男性陣の同情の眼差しが集まった。仲間の前でキスをするなど、硬派を気取っている身にはどれほどの恥辱だろうか。

『ふふ……許してあげます。1時間以内に来なかったら、帰っちゃいますからね』

 やわらかな声が途切れた次の瞬間、ノブナガは最高速度で走り出していた。
 あっという間に見えなくなるノブナガの背中。それを見送る旅団員の表情は、呆れ半分、盛大なノロケに当てられた憮然としたもの半分という、何とも締まらない表情であった。
   






×××

〜ノブナガの場合〜





2007/07/15

ノブナガは尻に敷かれてるのが理想形です(笑)