家と仕事が繰り返される、決まりきったスケジュールを過ごしている。ここ二年ばかり恋愛とも縁遠い女の一人暮らしなど、単調そのものだ。 何せ、波乱を起こしてくれる相手がいないのだから。 そういうわけで、わたしの毎日はごく単調に、平和に過ぎていく。学生時代の忙しなさを思い出すと、懐かしく愛しい気持ちになる。振り回されっぱなしの、落ち着かない毎日だったけれど、今思えばそれこそが青春だったのだろう。 晩ごはんを食べ終え、だらだらとテレビを観ているときに携帯が鳴った。ディスプレイに映るのは、高校時代からの友人で親友の美歩の名だった。 (週末のお誘いかな?) 頭の中のスケジュール張をめくりながら、のんびりと電話に出る。 すっかり気の抜けた体で電話を受けたわたしは、思いがけない美歩の言葉に息を詰めた。 ・ 人をハチャメチャな混乱に突き落とす事が趣味だったあの人が、七年ぶりに地球に来ると伝えられて、わたし達が集まる場所に決めたのは安さが売りの居酒屋だった。大方筒井君の指定なのだろう。美歩もお酒は嫌いじゃないし、畏まった場所よりもラフな場所が好きだから居酒屋には異存はないだろう。普段どおりの格好で行ける居酒屋は、わたしとしても好都合だった。 何よりも、どうせ彼らに会うのだから騒がしくなるに決まっている。それなら、最初から騒がしい居酒屋が良いのかも知れない。筒井君がそこまで深い考えで決めたとは思わないけれど、結果オーライならそれで良しだ。 色々悩んだ挙句、結局定番のスタイルに落ち着いたわたしは、落ち着かない気持ちで待ち合わせ場所へと向かった。 ドキドキとワクワクと、少しばかりの戦々恐々を抱いて、居酒屋の入り口をまたぐ。 奥の個室には、すでに美歩と筒井君が待ち構えていた。傍らにちょこんと座っている小柄な少女は、わたしも何度か会ったことがある王子の娘のカナちゃんだ。 「遅くなってごめん!」 「大丈夫、うちらもさっき来たとこなの」 「そうそう、気にすんなって!」 準備に手間取って遅くなって来たことを謝ると、美歩と筒井君は二人はにこにこ笑ってそう告げた。さっさとビールを注文しているようで、二人とも上機嫌だ。もちろんカナちゃんはまだ未成年だからお酒なんて飲むことは出来ないけれど、オレンジジュースにご満悦のようだ。 美形の両親の遺伝子をしっかり受け継いだ少女は、にっこりと愛らしく微笑む。 「ごめんなさい、先に始めちゃってます。……さんは、何頼みますか?」 幼い外見をしていると侮ることなかれ。王子の天才的な頭脳と、王女さんの緻密な知略を受け継いだ少女はあどけない外見に反して大人以上に大人びている。 「えーと、じゃあ、わたしもオレンジジュースで」 カナちゃんは大人二人よりもテキパキと店員を呼び止めて、注文を取ってくれた。気が利くし、とても優しい子だ。王子の性格の悪さを遺伝しなかったことは、宇宙にとっての奇跡であり最大の幸運だろう。 もっとも、単に人が良いだけの少女でない事も知っているけれど。 「やっぱり、カナいるよー」 「……ホントにいたのねぇ」 唐突に降ってきた声は、懐かしい人のものだった。 ラフな格好をした一組の男女こそ、カナちゃんの両親であり、わたし達の待ち人だった。 二人は本当にしっくりくる雰囲気を漂わせていた。相変わらず若い外見で、子どもがいるとは見えないけれど、確実に二人で過ごした七年という年月は彼らの距離を密接にしていた。 妻である女性を傍らに置きながら、彼は、昔と変わらない笑みを浮かべていた。表面上は紳士的ながら、その瞳には子どもっぽい意地悪さが宿っている。過去の私を魅了していた、はた迷惑で魅力的な笑顔だった。 あれから、やはり私は彼ではない人といくつかの恋を経験したけれど、彼ほど深く鮮やかに存在を残していった人はいなかった。 過去の名残にちくりと胸に痛む。けれど、それはもう遠く眩しい思い出が僅かに軋むだけだった。 私は素直に、彼が幸せそうであることに、妻である女性を大切にしていることに喜びと祝福を覚えた。 あの頃、子ども過ぎた私には分からなかったけれど、一つの星の王であることの重責は彼のような規格外の人であったも決して軽いものではなかっただろう。王となる彼を傍らで支え、共に苦労を分かち合うのは、並みの女性では不可能だった。 ―――彼女だからこそ、可能だったのだ。 「なんだ、あんま驚いてねーな」 「まあね、実はここに来る途中で……」 七年のブランクが嘘のように、「久しぶり」という言葉もなく筒井君は王子と話している。ごく自然に、王女さんも会話に輪に加わっていった。 環境がどれだけ変化しても、年を経ても、変わらないものがここにはある。 恋ではなくなったとしても、わたしはこの人好きだし、彼らが大好きなのだ。 少しばかり緊張していた自分自身が馬鹿馬鹿しく思えて、わたしは小さく笑った。 カナちゃんも交えながら、相変わらず騒動を引き寄せている王子の話を肴にしていたとき、わたしの目に飛び込んで来たのはサドさんだった。 後ろに髪を撫で付けて、切れ長の瞳にメガネをかけて、七年前と同じ無表情を貼り付けた人。 七年の歳月を経ているのに、彼はあまりにも変わりが無かった。 まるで、あのときのまま、タイムスリップしてきたみたいに。 時間も空間もゼロになるような錯覚を覚えながら、わたしは緩やかに微笑みを作った。 わたしは変わっただろうか。 もう、わたしは高校生ではないし、少女といえる年齢は脱してしまっている。まだ覚束ないながら、自分の足で社会へと踏み出し始め、一応は大人の体裁を整えている。 それでも、未熟で一杯いっぱいだった過去を知っている彼の前では、身につけた処世術も通用しない気がして、気恥ずかしさと気後れを覚えるのだ。 記憶の彼とは寸分の違いもない。それなのに、わたしの心臓は大きく飛び跳ねていた。 「「サドさんっ!?」」 美歩と筒井君のユニゾンの叫びに、サドさんは僅かに口角を上げる。そんな表情が嫌味にならないのは、メガネの奥の瞳が優しいからだ。 「お久しぶりです」 落ち着いた声が、低くわたしの耳朶を震わせる。 当然のようにサドさんは、空いている席―――つまりはわたしの隣に腰を下ろした。 サドさんがいる左半身だけが、ぴりぴりと緊張してしまう。落ち着かない気持ちで視線を彷徨わせていると、真正面に座っていたカナちゃんと目が合った。 大人びていて、透明でありながら、茶目っ気たっぷりな瞳。 幼い目に動揺が見透かされてしまったようで、わたしは頬が火照っていくのを感じた。 もっとも、そんなわたしなんて他には誰も見ていなかっただろう。サドさんの登場は王子にも知らされていなかったようで、筒井くんや王子がやんややんやと質問攻めにしている。 オレンジジュースを一気に呷ると、わたしも皆の会話に耳を傾けた。 ・ サドさんへの質問も一段落がつき、皆大分出来上がってきている。各々が好き勝手に話すようになると、わたしとサドさんは自然に聞き手役や、会話から一歩引いたスタンスで飲むようになっていた。 「さんは、どうされているんですか? 」 やわらかな声に問われて、俯いていた顔を上げる。生真面目な顔でサドさんはわたしを見ている。 気取られないように、微かに息を呑む。 上気していく頬を、アルコールの所為だと思ってくれればいいと願いながら、わたしは口を開いた。本当は下戸なので、どんな種類であってもアルコールなんて飲めないのだけれども。 「東京で就職しています。念願だった一人暮らしがようやく出来るようになったばかりなんですけど……サドさんは?」 サドさんは何かを言いかけ、言葉に出さずに飲み込んだ。 どことなく自嘲的な笑みが唇に浮かび、一瞬で掻き消える。 「……まぁ、以前と変わりなく王の護衛をしていますよ」 「クラフトさんや、コリンさんも?」 「ええ…」 「お二人とも、元気ですか?」 サドさんは目を細めて微笑んだ。 (あ、) 目じりに薄く、皺が寄る。 そうすると凄く魅力的な笑顔になる。 初めて気付いたことに、わたしの胸をコトリと動いた。 「王も変わりませんが、隊長もコリンも変わりませんよ。……ああ、でも、コリンが結婚しました」 「え!? 結婚ですか! うわ〜、凄いなぁー」 変わらないように見えても、確実に時は流れているのだ。それにしても、三人の中で一番大人しそうなコリンさんが真っ先に結婚するとは。 意外な事実だ。 「ああ見えて、大胆ですしね。なにせ、わたし達まで騙してくれましたから」 にっこりと鮮やかに笑ったサドさんの眼は、実は少しも笑っていない。 どうやら王子の結婚にまつわるエピソードは、未だに禍根を残しているようだ。 執念深く怒り続けているというよりは、これは……何だか子どもが拗ねている様子に似ている。 (なんだか……サドさんって……) 年上の男の人に思うなんて失礼なのかも知れないけれど。 (かわいい) もの凄く生真面目で落ち着いているように見えるのに、本質は王子に似た子どもっぽさを飼っているのだ。だからこそ、あれだけ振り回されながらも王子の護衛なんて続けてこれたのだろう。 (その点では、きっとクラフトさんやコリンさんも同じよね……) クラフトさんは全身全霊で否定するだろうけど。でも、結局は王子に共感する部分が無きにしも非ずってとこではないかな。 「でもいいなぁ…コリンさん」 「さんは?」 何の装飾品もつけていない左手を掲げてぷらぷら振る。 「残念ながら、まだです。……サドさんこそ、どうなんですか?」 指輪はしていない。でも、それだけでは判断出来ない。結婚をしていなくても、結婚を考えている人はいるかも知れない。 ほんの僅かな間なのに、やけに緊張して、わたしはサドさんの答えを待った。 「わたしも、残念ながら」 サドさんも同じように左手を掲げて、手を振る。長く細い指に、所有の印をつける人はいないと知って脈拍が速まった。 頬が熱くなる。 次の言葉を継げずにいると、居た堪れない沈黙が落ちた。 (どうしよう) 変に、思われたくないのに。 明らかに挙動不審な態度しか取ることが出来ない自分が嫌になる。 次の言葉を捜していると、 「あら、カナちゃん寝ちゃったの?」 美歩の言葉に、わたし達は視線をカナちゃんへと向けた。 王女さんの膝に頭をのせて、カナちゃんは眠ってしまっていた。 年齢相応に幼い寝顔に、微笑みを誘われる。 子どもっていいな、という学生時代にはあまり感じなかった感慨を抱くのは、それだけ年をとったという事なのだろう。 「そろそろお開きにしますか」 美歩の言葉にほっとする反面、残念な気持ちが同時に沸き起こった。 頻繁に会える人達じゃないから、ひどく名残惜しい。それでも、ちいさな子を抱えてこれ以上時間を引き延ばす事も出来ない。 がやがや王子と美歩と筒井君が言い争いながらレジへと向かって行く。わたしも後を追う為に席を立った。 「お前、いつまでいるんだ?」 「……そうだなぁ、地球も久々だから一週間はいる予定。雪隆とも遊びたいしね」 腕の中に大切そうにカナちゃんを抱きながら、そういう所は立派に『お父さん』をしているというのに、王子はやはり王子のままだった。 筒井君と遊びたいというよりも、筒井君で遊びたいというのが伝わってくる。 筒井君が苦虫を潰したような嫌な表情を浮かべた。 「そういえば、サドさんはいつまで地球にいるんですか?」 「王と一緒に帰るつもりです」 美歩が聞いたのは、わたしが一番気になっている事だった。 一週間。 サドさんは、地球にいる。 「じゃあ、帰る前にまた集まりましょう! サドさん、予定は?」 「……特に外せない予定はありません。みなさんに合わせますよ」 「分かりました。じゃあ、予定が決まったら連絡しますね」 王子と王女さんは近くに車を停めてあるらしく、居酒屋の前で別れた。 美歩と筒井君とは、駅で別れた。二人の家と、わたしの家とは電車が違う。 七年前のあの日のように、サドさんはわたしを送ると言ってくれた。終電の時間帯は人影も少なく、一人歩きが危ないのは確で。 それり、何よりまだサドさんと一緒にいたくて、わたしは素直に申し出を受け入れた。 「さん」 呼ばれて、顔を上げる。 二人きりのときに、名前を呼ばれると何だか面映い。くすぐったい喜びがじわじわと侵食していく。 「お時間ありますか?」 「……ええ、明日は休みだし、大丈夫です」 「良かった。あの店に寄りたいんですけど、付き合ってくれませんか?」 サドさんが指し示したのは、七年前、最後に一緒に入ったコーヒーショップだった。 「地球にしかないない店なんで、地球に来たら絶対に来ようと思ってたんです」 「コーヒー好きなんですか?」 「ええ。やっぱり、地球のコーヒーが一番美味しいですね」 あの時のコーヒーショップで、同じ席に座りながら、わたしはあの頃とは違う感情で向かい合っていた。 若いウエイトレスが置いていったコーヒーから、くるくると湯気が立ち昇る。 芳しい香りが嗅覚を刺激した。昔は、苦味の強いコーヒーが苦手だった。でも今は、コーヒーはブラックでなければ飲まないほどにコーヒーの苦味を愛している。 ―――さて、何を話そうか? 手のひらに収めたカップに目を落とす。 わたしは跳ねる鼓動を持て余しながら、会話の糸口を思案し始めた。 2007/09/23
失恋があれば、新たな恋もあるわけで、王子と付き合うより何倍もサド隊員のほうが幸せにしてくれると思います(笑) そして、やはり難産でした。 |