王子に良く似た弟と共だって入ってきたその人を見た瞬間に、コトリと胸の奥で何かが落ちる音がした。 それが回り始めたカウントダウンの音だったのだと気付いたのは、彼がいなくなると別れの言葉を告げたときだった。 ・ 宿題にかけつけて遊びに来た美歩の家で、一向に進む気配を見せない宿題を他所にお菓子を食べているときに、突然の爆音とスピーカー越しの大音量に見舞われた。 「なに、これ!?」 「…ヘリ?」 窓の外には今にも突き破ってきそうなほど至近距離にヘリが迫っていた。 唐突に有り得ないやっかい事に巻き込まれるのが得意な隣人兼彼氏を持つ親友と、わたしは顔を見合わせた。何となく、きっとこれは筒井君に関係する事の様な気がしたのだ。 それは美歩も同様だったようで、食べかけのポテトチップスを放り出し玄関へと向かった。慌ててわたしも後を追う。 了承も取らずに筒井君の家へと入り込むと、久々に見る顔を見つけてしまった。 女性的なまでに端整な、明るい髪の持ち主。強烈で特異でぶっ飛んだ―――地球外生命体である人。 「王子さん?」 急に跳ね上がってしまった鼓動は、きっとびっくりし過ぎたからだ。 「やあ、ちょっとぶり」 二ヶ月前と変わらない笑みで、彼は微笑んだ。 こんな場面だというのに欠片も動揺を感じてない様子に呆れてしまう。相変わらず、人を煙に巻くのが上手い人だ。 ヘリからはスピーカー越しの大音量が続いている。英語でもない言葉は、きっと地球の言語ではないのだろう。王子がここに居るという事は十中八九彼に関する事なのだろうから。 言葉は分からなくとも、その声が若い女性の声だというのは分かった。 「っ!?」 スピーカーからの言葉が切れ、眩しいほどの光に襲われた。反射的に、目を細める。 隣で淡々と話す王子の声に、ざわざわと落ち着かない気分になる。気のせいだろうか。王子の声に、ほんの少し動揺が混じっている気がした。 王子へ視線を移すと、彼は玄関へと移動していた。パチリと目と目が合う。 悪戯っぽい笑みを残して、王子は素早く逃げ出してしまった。 「……」 あまりにも素早くて言葉もでない。美歩の声に振り返ったときには、見知らぬ二人がベランダに降り立っていた。 少し王子に似た同年代の男の人と、紫色の髪をした少女。 (この人が、王子の婚約者……) 王子の婚約者であるお姫様は、抜けるような白い肌と、長い艶やかな髪が印象的な人だった。 何より穏やかな物腰でいながら凛とした佇まいと、意志の強い瞳が彼女を美しく彩っている。 その目を見て、分かった。 (……この人は) どんな気持ちであれ、本当に真摯なのだ。真剣に、王子に向き合っている。 (なんだろ。なんか、) 胸に重く圧し掛かるような嫌な感覚。 二人が去り、王子が戻ってきてもわたしの嫌な予感は消えなかった。 不自然に痛む自分に気持ちに、わたしは無理やり目を背けて、筒井君の家を後にした。 ・ 王子に呼び出されて、筒井君の家に向かった。時刻は夕暮れ時。ゆっくりと夕日が西に沈んでいくのを見ながら、わたしは歩き続けた。何故か足取りは重くなる。それでも、ようやく筒井君の家に着いたときはまだ夕日は完全には沈んではいなかった。 こんな風にみんなが呼び出されるのは初めてで、嫌な予感は確実に確信に変わりつつある。 「何だろうね? わたし達を集めるなんて」 「うん……」 不思議そうな美歩の言葉に、上の空で答える。 ―――きっと、それは。 本当は美歩も筒井君も薄々感付いているはず。それでも、あの王子が、と信じる事が出来ないのだろう。 どことなく落ち着かない沈黙が流れる。 ともかく、王子が来れば分かるはずだ。わたし達は三人とも、玄関を見詰めた。 五分も経たない内に、静かに扉が開く。 「やあ、みんなお集まりだね」 普段通りの軽い調子のまま入ってくると、王子は何の前置きもなく本題に入った。 「実は、王女と結婚することになったんだ」 筒井君と美歩がはっと息を呑む。 驚きよりも、わたしが先に感じたのは寂しさだった。 推測が、確信に変わる。その瞬間は、本当に呆気なく唐突に訪れた。 「今回ばかりは完敗だったよ」 どうやら王位を継がなくてはいけないらしい。そう続けて、王子は苦笑した。 その笑みはもう、既に覚悟を決めた人のもので。呆けた思考回路で、この人もこんな表情をするのだと、わたしは驚いていた。 いつもと変わらない飄々とした笑顔だけれども、どこか違う。何か、もっと深い感情を湛えているような、そんな笑みに見えて胸が苦しくなる。 「信じらんねー…お前が捕まるなんて」 「……まぁ、ボクもまさか王女に騙されるとは思ってなかったけどね」 王子の返答は吹っ切れたもので、あんなに逃げ回っていた王位を継ぐことにも、結婚にも、王子は嫌がっていないようだった。 ぽつりと、落ちた一つの小石が波紋を広げていくように、じわじわと広まっていく想いに、わたしはどうして良いか分からなくなる。 こんな想い、わたしは知らない。 「クラフトさん」 美歩の声に、顔を上げる。 いつの間にか、サドさんとクラフトさんとコリンさんも玄関に立っていた。 いつも通りのラフな格好。けれども、どことなく三人に顔に浮かぶ表情は違っていた。 (……そっか) 王子は王位を継ぐ。それは、つまり。 「さよなら、ですね」 わたしは笑えているだろうか? 声は震えていないだろうか? 胸がきゅうっと絞られるようだった。寂しくて、切なくて、苦しくて。 ああ、わたし、この人達のことが好きだった。とても、大好きだったのだ。 「うん。流石に星に帰らなきゃならないみたいだからね」 何でもない事のように言う王子。読めない表情を見詰めながら、わたしは奥歯を噛み締めた。突然現れて、突然消えてしまう人。でも、地球にいる限りならいつかまた会えると思ってた。予定調和のように、唐突に突然に、また会えると信じていた。 「いつ帰るんだ?」 「今日」 「「きょうっ!?」」 息ぴったりに声を荒げる筒井君と美歩。何だかかんだ言いながらも、二人とも王子のことを気に入っているのだ。ショックを受けている二人を他所に、わたしの心は静まっていった。 きっと、どこかで知っていた。あのお姫様を見たときから気付いてた。気付かないふりをした、わたしの負け。 ショックを受ける権利なんてない。 もっとも、二人は即座にショックから立ち直った。この適応能力の高さがあるから、王子やクラフトさん達と付き合ってこれたのだろう。 送別会を開くからと、美歩はピザの宅配を注文している。筒井君と王子は近所までアルコールを買いに出てしまった。 「ごめん、わたしそろそろ帰らないと」 「えー、帰っちゃうの?」 「……うん。門限過ぎちゃうから…ごめんね」 わたしの普段を知っている美歩が少し不思議そうな表情をする。それでも、それ以上は引き止めなかった。 クラフトさん達に向かって、軽く頭を下げる。この人達とも、もう会えなくなる。 「さようなら。お元気で。またいつか」 「くんも息災で」 「絶対また会いにきますから!」 「……また、会いましょう」 クラフトさんの手は、がっしりとした温かい手だった。コリンさんの手は、ふわりと包み込むような優しさがあった。サドさんの手は、ひんやりと冷たい手だった。 それぞれと握手を交わして、わたしは外へと出た。外はもう、すっかり陽が沈んでしまっている。 「さん」 呼び止められて、振り返った。廊下の蛍光灯の灯りが、メガネのレンズにキラリと光る。わたしを呼び止めたのは、サドさんだった。 「もう暗いですから、送りますよ」 「え、そんな! 大丈夫です。まだ早いですし」 サドさんは後ろ手で静かに扉を閉じると、当たり前のように横に並んだ。王子やコリンさんに比べると、サドさんとはあまり話した事がない。暗いといっても時刻はまだ七時を少し回ったくらいで、そこまで心配される時間帯でもなかった。それなのに、どうして彼がここまで送ると言い張るのか分からなくて、わたしは戸惑った。 「近頃は物騒ですから。女性の一人歩きは危険ですよ」 王子と違う意味で表情の読めない無表情を見上げなら、わたしは溜め息を押し隠す。人の親切を無碍にするのも失礼だろう。それにしても、この人はこんなに押しの強い人だっただろうか。 王子やクラフトさんのクセが強すぎて、いまいちこの人の事は強く印象に残っていなかった。 当然のように足を止めて、サドさんはわたしを待っている。メガネの奥の瞳を、わたしは初めてじっくりと見返した。 切れ長の深い漆黒の瞳は、揺るぎがなく、感情が読めない。 「すみません…それじゃあ、お願いします」 頷くサドさんと一緒に歩き出した。わたしに合わせてくれるのだろう、早くないペースで歩いてくれる。 (優しい人なんだろうなぁ…) 良く話した事はなかったけれど、わざわざ、ついででもないのに送ろうと申し出てくれるなんて、きっと良い人なんだろう。こうして家に着くまでの時間が、サドさんと話す最後の機会なのだ。 何を話せばいいのか分からなかったけれど、沈黙するのも勿体無いような気がしてわたしは話題を探した。 「サドさんも、明日帰るんですよね?」 「いえ、わたしとコリンはしばらく残るつもりです。事後処理も残っているので」 「そうなんですか。……大変ですね」 「いえいえ、王子の子守をしなくてはいけない隊長ほどではないですよ」 生真面目な顔をして、中々言う人だ。ほんの僅かな間に、サドさんへのわたしの認識は大きく修正された。 わたし達は顔を見合わせて、次の瞬間小さく笑い出した。 確かに、どんなハードな業務よりも、王子の護衛のほうが何倍も大変に違いない。近くにいる人を、騒動に巻き込むトラブル量産機のような人なのだ。 あんな人は、他にはいない。 他には、いない。 不意に突き上げてくる痛みに、息が詰まった。 だから、一人で帰りたかったのに。だから、最後まであの場所に居られなかった。 「雨?」 ぽつぽつと冷たい滴が頬や髪に落ちる。それはあっという間に大粒の雨になって、地面を濃淡を変えていった。 もちろんわたし達は傘なんて持っていない。 「走りましょう!」 「え?」 腕を強引に引き寄せられた。急なことで着いていけない思考回路で見上げると、きちんとセットされていた髪が雨で湿って崩れている横顔が見える。真っ直ぐに前を見て、サドさんはわたしを掴んだまま近くに見える灯りに向かって走り出す。 着いていけないほど速いわけじゃないけれど、一人で走っているよりずっと速いペースで走らされ、コーヒーショップに着く頃にはすっかり息が上がっていた。 「すみません。大丈夫ですか?」 「……は、い」 おかげであまり濡れずにはすんだ。荒い呼吸の下、何とか返事を返す。サドさんは外見から、いかにも非戦闘員というか、体力派ではないといった感じなのに、思った以上に体力があるようだ。情けないくらいに息を荒くしているわたしを他所に、ほんの僅かも乱れていない。 (流石、護衛隊…) ようやく呼吸が整い、空を見る。空は黒々とした雲に覆われていて、すぐには止みそうになかった。 「雨やみそうにないですね」 「ええ。ちょっと、雨宿りしていきましょう」 コーヒーショップの中は、いかにも明るく温かそうだ。わたしは促されるままに店内へと足を踏み入れた。 店内には客はまばらで、わたし達は入り口から入って奥の席に腰を下ろす。メニューを眺めると、多様な種類のコーヒーが置いてある。ウエイトレスにホットコーヒーを二つ注文すると、わたし達は向かい合った。 居心地の悪い沈黙が落ちる。 崩れてしまったセットを手櫛で無造作に直すのを視界の端におさめながら、わたしは早く注文の品が出てくれば良いと考えていた。そうすれば少しは間が持つだろうに。 わたしの願いが通じたのか、ウエイトレスはすぐにコーヒーを持ってきてくれた。 窓から見える外の様子は相変わらず凄い土砂降りで、しばらく止む気配はない。どれくらい、ここに足止めされるのだろうか。憂鬱な気分でコーヒーを飲み込んだ。 「さん」 「はい?」 呼ばれて、顔を上げる。メガネのレンズを拭きながら、彼は無表情に語り始めた。 「この宇宙にどれだけの知的生命体がいるか分かりますか?」 「いいえ…」 「確認されているだけでも、数十兆体です。その中で、ヒト型の生命体は1兆体を越すといわれています。その中から地球人と良く似たタイプの種族は約半数の5000億体といわれており、更にその中から異種間恋愛を許可しているのは……」 滔々と宇宙におけるヒト型生命体の恋愛事情を解説するサドさんの説明に、わたしはただ頷くしかない。 はぁ、と気のない返事をしているにも関わらず、サドさんは淡々と話し続けている。 「……であるからしてです。地球人と宇宙人との恋愛成立率は、現在のところ高くはありません。やはり、互いの文化的差異が……」 サドさんの言葉は流れるようで、留まる様子はない。専門的な単語が出るようになると、わたしにはさっぱり理解出来ない話になってしまった。サドさんも、わたし相手に専門的な話をしても意味がない事くらい分かるだろう。 (もしかして…) ふと、一つの可能性に思い至った。 もしそうなら、もの凄く、遠まわしだけれど。 「ですから、さん」 淡々とした声に、やわらかなニュアンスが篭っているような気がした。 メガネ越しの、沈着な瞳が、やさしくわたしを見ている。 「貴方が悪いわけじゃないですよ。ただ、難しすぎただけです」 彼は、知っていたのだ。 「サドさん……」 わたしすら気付いていなかった想いを、見抜いていたのだ。 「貴方は、素敵な女性ですよ」 不器用で気障なセリフを吐きながらも、いつも通りの生真面目な顔をしているこの人の、回りくどく遠まわしな慰めが、ゆっくりと心に沁みてきた。 恋じゃないと、思っていた。 ただ、傍にいるのが楽しくて、バカみたいに笑えて、まるで超特急のジェットコースターに乗せられてるみたいに散々振り回されて。それが、嫌じゃなかった。 あんまりにも自然に、当然のように傍にいたから、彼の身分なんて考える暇がなかった。 恋が始まっていたなんて、気付いてもいなかったのだ。 俯いた視界いっぱいに広がる琥珀色のコーヒー。苦いコーヒーの蒸気が目に沁みて、ツゥンと眼の奥が痛む。涙が滲んでしまいそうで、ぎゅっと目蓋を閉じた。 気付いていなかった。 あがく暇さえなかった。 彼はもう、他の女のもの。 自覚した瞬間には、もう舞台には上がれない立場でしかなかった。 最初から叶う恋じゃないとしても、有無を言わさず終わりがくるなんて、なんて最悪な失恋。 テーブルひとつ分の距離に、何も言わずに普段のままの彼がいてくれることが疎ましい。それでも、一人じゃないことは確かな慰めだった。 自分自身でさえ気付いていなかった想いを、もう誰にも告げることの出来ない想いを、見守ってくれていた人がいる。まだ小さな想いでしかなかったけれど、確かに、存在していたのだ。 ―――わたしは、彼が好きだったのだ。 コーヒーの蒸気が立ち昇り、その苦さに、じわりと辛い滴が頬を伝い落ちていく。 やがて冷えたコーヒーから蒸気が立ち昇らなくなるように、この想いもゆっくりと流れていくのだろう。そして、また、わたしは彼とは違う人に恋をする。 時は流れゆき、留まることはない。 冷えていくコーヒーを見詰めながら、少しでも長く留めておけるようにと、わたしは頑なに息を詰める。 外の雨は、まだ止まない。 コーヒーソーサーを持ち上げる音だけが、静かに響いた。 2007/08/19
どマイナーなサド夢です。サド隊員好きなんですよー インテリメガネに弱い、分かりやすい趣味をしています(笑) それにしてもサド成分少ない。王子が多すぎる…。E夢は難産になる宿命なのでしょうか…この話も七転八倒しながら書きました。イメージを壊してしまったら、すみません(><) |