「、蜘蛛の坊やが 雇い主である老婆の言葉に、は溜め息を噛み殺した。 C級賞金首から一気にA級賞金首に跳ね上がった残虐非道な強盗集団のことを、近所の悪ガキに対するように呼ぶ人間は少ないだろう。何度か仕事をした事があるは、とても老婆のように気安く呼びかける気にはなれなかった。 と老婆が居るのは、人通りの少ない町外れの、しなびた商店街の一角に構えている店である。錆びた鋼鉄製のドアを押し開けば、そこにはいかにも怪しげな内装が広がっている。 窓がないために薄暗く、狭い店内に置かれた埃をかぶった骨董品は、目利きの出来ない者から見れば薄気味の悪いガラクタとしか見えないだろう。 しかし、一見価値のないように見える品々は、正規のルートから外れた方法で入手された曰く付きの品物だったりする。中にはの一生の稼ぎからは足元にも及ばない高価な一品もある。 看板のない店の名前は、『クラウン』という。中古品売買を商っている―――というのは表向きで、実際に取り扱う品々は盗品が主だ。この店は、100歳はとうに越えているように見える魔女のような容姿をした老婆と、のような盗人と直接コンタクトを取って品物を運ぶ中継者が幾人かで営まれている。このちっぽけなでみすぼらしい店が、ブラック・マーケットの中でも特に高級な骨董品及び珍品・奇品を捌いているのだ。 中継者は全て念能力者であり、も例外ではない。そもそも、この店自体、念能力者でなければ見つけることが出来ないような”念“が施されている。施術者は店主である老婆。名前はも知らない。皆は老婆の事を店と同じ名前で呼ぶ―――「マダム・クラウン」と。 「そのようですわね、マダム。一昨日の事ですが、今日の新聞にも載っていましたから」 「相変わらず、派手にやったようだの」 「………はぁ…」 裏の世界に太いパイプを持つ実業家の屋敷に数人で侵入し、200人を超す警備を皆殺しにしたうえで厳重に守られていた宝石を盗み取るなどまともな神経の行いではない。それを「派手」の一言で済ます辺り、老婆も十分に闇の住人であった。 とて、職業柄生死をかけた戦いの経験がないわけでもない。血の気の多い連中とも渡り合えなければ盗品専門の中継者などやってこれるはずがなかった。 老婆は枯れ枝のような細い指で、黒いベールを肩の後ろに流した。皺まみれの素顔がのぞき、濁った眼球が露になる。したたかで、老獪な狸の眼でを見遣り、にんまりと人の悪い笑みを浮かべた。 「仕事を頼むよ、」 雇われ人に拒否権などあるはずもない。 脳裏に重く垂れる悪い予感に、深々と溜め息を吐いて、は頷いた。 ・ 引渡し場所の指定は、宝石を盗んだ町の外れの廃墟だった。あれだけ派手に盗みをしたというのに、未だに犯罪現場の近くに留まっているのは無謀か、自信か。 黒のパンツスーツという仕事着で、は一人、暗い廃墟に足を踏み入れる。人気のない静かな空間に、パンプスがカツカツと立てる足音が響いた。 墨が溶けたような闇に、ほんのりとした光が差し込んできた。蛍光灯の目に痛い眩しさとは違うそれは、蝋燭の光だった。 元は大広間だったと思わしき、崩れかかった広い部屋に三人の男が座っていた。 彼らを視界におさめただけで、肌がざわざわと粟立つ。本能が告げる警告をあえて無視して、は声を放った。 「こんばんは」 黒衣の小柄な男は、座ったまま微動だにしなかった。旅団のメンバーなのだろうが、初めて見る顔である。旅団に関する情報を意識的にシャットダウンしているには、名前は分からない。その気になれば、名前を調べる方法はあるのだろうが、下手に知るのは危険を招く気がするのだ。 もう一人の男は、何度か顔を合わせている。人形のような見事な金髪と碧眼を持った、女の子が思い描く『王子様』のような外見をした男だ。名前はシャルと言うらしい。何度か仲間がそう呼びかけるのを耳にしていた。 しかし、彼らはの目的の人物ではない。 その男は瓦礫の山の上に、悠然と座っていた。 漆黒の髪をオールバックにまとめ、黒いコートを纏った男。端整な顔をした、まだ幼いまでに若い男が―――悪名高い盗賊集団、幻影旅団の頭である。 会うのは初めてではないのに、の心臓はひとつ大きく跳ね上がった。それほどまでの威圧感があった。直接胸を圧迫されるようなプレッシャーに、咽喉がひりつく。 油断ならない実力者であり、底知れない瞳をしている。その瞳が恐ろしいのだ。 気付かれているとは思うものの、こちらもプロであるという職業意識から表情を殺し、は優雅に一礼した。 「マダム・クラウンからの使いで品物を受け取りに参りました」 男はようやく本から顔を上げ、こちらを見た。 引き込まれてしまいそうな双眸を覗き込まないように、細心の注意を払い視線を逸らす。それでも心臓が握られたような痛みを覚え、奥歯を噛み締めた。 「約束の品だ―――受け取れ」 無造作に投げ渡された物を、は手を伸ばしキャッチする。手のひらに、ひんやりとした冷たさを伝える鉱物は確かに本物の 彼らにとってみれば、200人の命も取るに足らないものなのだろう。 も『普通』の範疇に収まる生き方をしていないが、更に常軌を逸した存在である旅団には畏怖を覚えずにはおられない。 貨幣の価値をそれなりに信奉している為、は慎重に手の上の石を黒い布袋に入れ、スーツのポケットに収めた。 「確かに、『受領致しました』」 の右胸の上にあった鳥のブローチが、ふっと具現化し、半瞬にも満たない時間で掻き消えた。マダムの念で具現化されたブローチは『受領致しました』というの肉声により、盗品を受け取った事を伝えに行くのだ。 十秒も経たぬ間に、今度は白い鳥のブローチが唐突に胸の上に現れた。白い鳥のブローチは、マダムが相手側の口座に入金した事の証である。 「入金が済みました。ご確認お願い致します」 シャルナークがパソコンを操作すると、クロロに向けてこくりと頷いた。 「きっちり40億入ってるよ」 「そうか。………入金は確認した」 クロロの言葉にほっと息を吐く。これで仕事は終了だ。 は再度礼を示し、決まり口上を告げた。 「これで今回の取引を終了させて頂きます。今後とも、『クラウン』をご愛顧くださいますようお願い申し上げます」 心は既に外に向かっていた。一刻も早く、この場を立ち去りたい。 振り返り、一歩足を踏み出そうとした瞬間。 「―――待て」 耳朶のすぐ傍で、女ならばどんな女でも震えるだろう甘い声が囁かれた。 反射的に身体が凍りつき、腰が砕けてしまいそうだった。 唯一動く眼球を横へ向けると、何時の間に移動したのか、クロロが当然のように立って存在していた。 「客人が来ているようだ。付き合え」 クロロが指しているのは、外で機を窺っているハイエナ共の事だろう。A級首の旅団に真っ向から挑めぬからこそ、中継者であるから強奪しようとする三流の盗賊。 もちろん、も気付いてはいた。しかし、クロロと共に居る事よりも、ハイエナ共にたかられたほうがまだマシである。 奴らの狙いはあくまで宝石を持っている。金は手に入れたのだから、旅団は宝石には用はないはずである。そのままが出て行くのを見送れば良い。 手を出すと言い出した男の真意はどこにあるのだろう。 (何が狙いなの?) いささか警戒を表情をのせると、座っていた黒装束の小柄な男が、傘を手に立ち上がっていた。ゆらりと、放たれる殺気にの肌もびりびりと感応する。禍々しく、血に飢えたオーラだった。 「出てくるねがいいね。今ならまだ、優しく ゆったりと放たれた声は、愛しげにさえ聞こえた。言葉とは裏腹に、「出てこない事」を、いたぶる事を、舌なめずりして待ち望んでいるのが分かる。どの道、彼らは生き延びる事は出来ないだろう。 敵に対する僅かな憐憫の情が湧いたが、すぐに打ち消した。旅団の気紛れがなければ、殺されていたのはのほうだっただろう。流石に、念能力者7人を一人で相手にするのは手に余る。 傍らのクロロの唇が、微かに持ち上がった。楽しげな―――血も凍る微笑。 「出てくるがいい。もてなそう」 それが、合図。 一方的な殺戮は、静かな声で幕を開けた。 ・ 切り結んできた相手の刃を引き付けてかわし、空いた隙間に身を滑らせ、拳を打ち込む。衝撃で、人差し指に嵌められていた指輪のカラクリが作動し、毒針が飛び出した。瞬きの間に相手が絶命するのを確かめてから、は拳を引いた。 細い針は、肉から引いた時点でまた元に戻る。これで普通の指輪との見分けはつかない。便利なアイテムだ が一人を仕留めている間に、シャルナークと、クロロ、フェイタンは3人を仕留め終わっていた。フェイタンが対峙している1人はまだ生きているが、フェイタンの趣味に『生かされている』だけである。 も基本的な念能力のみで戦っていた。他の人間がいる前で、自分の能力を晒すことは死への階段を上がるの等しい。だからこそ、小道具に頼ったのだ。それは三人も同様であった。自分の能力を温存しながらも尚、余裕がある。 (嫌になる。バカみたいに強い) 三人の身のこなしは見事としか言いようがない。襲い掛かってきた男達も曲がりなりにも念能力者であり、そこそこの腕を持つレベルだった。一対一ならばも勝てるだろうが、三対一ならば殺されていただろう。 (もっとも、ブツを奪うことは出来なかっただろうけど) 中継者は単独行動が基本の為、最も狙われやすい。いくら腕に自信があろうとも、徒党を組まれれば足元をすくわれる恐れがある。当然、その為の対策もあるのだ。 荒くなった呼吸をなだめている間、小柄な男が傘を襲撃者の眼に突き立てていた。 耳障りな悲鳴が上がり、鮮血が舞う。黒味がかった粘り気のある液体。 傘が一閃する。動脈を傷付けたのだろう、今度は首筋から間欠泉のように血が噴出していた。勢い良く飛び出したそれらは、の顔を、髪を汚した。 異なる彩度の赤に、は目を奪われる。 にとってどうでも良い人間が、 部屋いっぱいに充満する、金臭い血臭にゆるく眉を寄せ、ブローチにも付いてしまった血をハンカチで拭う。 襲撃者の男は、既に息絶えていた。血の池の中で、身動きしなくなった男から傘を抜いた小柄な男は、陶然とした目でを振り返った。 ―――っ!!! 頭で考えるより先に、身体が動いていた。疾風の速さで仕掛けられた傘をバックステップで避け、小型ナイフを標的に向け放つ。傘で叩き落されるのを聴覚で感じながら、窓に向かって走り出した。 「フェイタンっ! やめなよ!」 「フェイタン、止めろ」 クロロとシャルの静止に、フェイタンと呼ばれた男が動きを止めた。それでもはスピードを緩めず、纏で身体を防御しながらガラスを突き破る。ふっと宙に身体が浮く。地面に足が付いた衝撃も感じる暇もなく、は全力で廃墟から離れるべく走り出した。 「まったくっ! 今日は厄日だわ!」 血が乾き始めて髪は絡むし、頬を擦るとパラパラと凝固した塊が剥がれていく。とうてい人前に見せれるものではないだろう悲惨な姿の自分を想像して、は舌打ちをした。その上、一歩間違えば死んでいた。しかも、フェイタンという男は生粋のサディストだろう。ただ死ぬだけでは済まなかっただろうと思うと、今更ながら怖気が走った。 「もう二度と、蜘蛛の仕事なんて受けない!」 泣きそうになりながら、そう宣言するも、そんなワガママが老獪な雇い主には通じないことなども分かっていた。 ポケットの中の石の重みに、そういえばこの石を持つものには不幸が訪れるというありがちな噂があった事を思い出し、習い性になっている溜め息を吐いた。 鳩の血 2007/06/17
『雨に謳えば』同一ヒロインです。 これまた、びっくりするくらい恋愛要素がありません。 |