わたしの部屋で、わたしの隣に座って真剣な目をしてテレビを注視している男を、わたしは改めて観察して見た。
漆黒の髪に漆黒の瞳をしているが、日本人ではない。そして、
明らかに、 カ タ ギ で は な い 。
手入れなんてするタイプにも見えないくせに傷みの全くない黒い、長い髪が腰元の辺りでトグロを巻いている。あれは触ると、少し硬くてひんやりとしている。
男性的で端整な容貌をしてるくせに、視線が鋭すぎる眼差しは他人を威嚇し射竦める。190cmを越す長身に、がっしりとした骨格。服の上からも分かるほど、その肉体は堅固だ。
日本という平和ボケした国の、更にのんびりとした田舎で生まれ育ったわたしは、かなりの部分の野生を失ってしまっているだろうし、危機感もマイナスなくらいに低い。………そのうえ、高校生まで一貫として学年で最もドン臭い生徒、いわゆる極度の運動音痴だった。スポーツに殆ど興味はないし、格闘技は嫌い。
そんなわたしでも分かるくらいに、彼の身のこなしは隙がない。よくは分からないけど、何かの訓練を受けている人なのだと思う。
強面+隙のない身のこなし+外国人(?)= ???
出会ってから持っている疑問は、いつも堂々巡り。イコールの先は、クエスチョンマークの乱舞になる。不確定要素が多くて、結論なんて出せない。
一見、ヤクザのようにも見えるけど、ほんの少し屈折しているけど本質は真っ直ぐ過ぎるくらいに真っ直ぐな人だと思うから、それは違うと思った。
清廉潔白っていうのとは少し違う。不器用なまでの実直さ。悪いことがしたくても、それが自分の為だと分かっていても筋の通らないことは出来ない人……なんじゃないかな。
ほんの数ヶ月しか付き合いはないけど、分かる。
10円でもつり銭を多く貰ってもお店に返しちゃうし、声をかけたら絶対に(ほぼ100%の確率で)誘拐犯に間違われるのに迷子の子どもがいると声をかけちゃう。非番の日でも、職場の人からの電話には文句を言いながらも必ず出るし、出たらどんなに遠くても仕事に行ってしまう。
本当に、悪いことが出来ない人よね。
ほとんど誰もがやっているような、ささいなズルも出来ない不器用なこの人が、やっぱり好きだなぁとしみじみ思う。
出会ったばかりの人なのに、色んなことが分からないままなのに、そんなことは好きの気持ちの前には何の関係もなくて。
だって、好きになってしまったものは、しょうがないでしょ?
正体不明の怪しさ満載の人でも、バカがつくくらい真っ正直な人だとしても、好きなものは好き。恋という性質の悪い病気には、有効な薬は存在しない。
今更嫌いになんてなれないし、むしろ人となりを知る毎に、どんどん惹かれていってしまう。
「野球、好きなんですか?」
彼から野球の話なんて聞いたことはなくて、意外な趣味に少し驚いて声をかける。
真剣な目をして見ている先にあるのは、高校球児達の目標である甲子園の―――深夜の再放送である。
「いや、別にそうではないんだが。知り合い……が出ているんだ」
「お知り合いがですか?」
高校球児のお知り合い……何だかとてつもなく彼に不似合いだ。どういった知り合いなんだろうと好奇心がもたげるが、口ぶりが重いのを問い詰める気にはなれなかった。
彼の知り合いが―――と、わたしはまじまじとテレビに注視した。
画面の中では、熱い熱気に包まれた球児達が、真剣な表情で向き合っている。バックコーラスの声援、日に焼けた黒い肌と対照的に白いユニフォームが太陽に煌く。
青春だなぁ、なんて外野は思ってしまうのだけれども、でも、彼らの輝きは、真剣さは、テレビ越しにも十分伝わってくるもので。
『バッター、5番、筒井くん』
アナウンスの女性の声に、彼の眼差しにいっそう熱がこもる。
知り合いとは、この「筒井くん」とやらなのかも知れない。
バッターボックスに立つ青年は、綺麗に日に焼け、大柄ながら精悍な感じの、ちょっと柄が悪そうだけど男っぽい魅力のある子だった。
甘いハンサムというわけじゃないから、分かりやすくモテるってタイプじゃないけど、実は影では結構人気があったりしそうだな、と野球と無縁のことを考えていると、ワァァァっと歓声が上がり、筒井くんがヒットを飛ばしていた。
「クラフトさんの知り合いって、この『筒井くん』ですか?」
甲子園でヒットを飛ばした筒井くんは、わたしの目から見てもカッコ良かった。何かひとつの事に打ち込む人のひた向きさは、わたしには無い部分だからこそ眩しくて、惹かれる要素なのだ。
「ああ」
「カッコ良いですね、筒井くん」
オトモダチになりたい、とまで図々しいことは思わなかったけど、実物の『筒井くん』とやらを見てみたいなと思った。
彼の知り合いだという筒井くん。もの凄く好奇心がそそられる。
何故なら、わたしは彼の知り合いという人に一度も会ったことがなかった。『筒井くん』は謎めいた彼の正体を知ってるんだろうか?
つらつらと考え込んでいる間に、テレビ画面では如月高校が9回裏の攻撃で勝利を飾っていた。駆け寄り、喜び合う部員達。特に、最後にヒットを飛ばした筒井くんは仲間達に囲まれて揉みくちゃにされている。
手荒い喜びの表現に、それでも筒井くんは強面の顔をくしゃくしゃにして笑っている。
「なんか、可愛いなぁ」
たった2つしか年は変わらないけれど、既にわたしが経過してしまった時の中にいる高校球児がはしゃいでる様は、妙に子どもっぽく見える。
ほっこりと胸が温かくなるような、愛しい気持ちに、目を細めてしまった。……自分がフケたような気がして何だかなぁとも思うのだけれど。
「……かわいい?」
渋い表情をしてこちらを見る彼に、小首を傾げてみせる。
何か変なこと言っただろうか?
「」
「はい?」
「筒井くんはやめておけ」
・
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・
「…………………は?」
何ともマヌケが声が出てしまった。流石に年頃の女の子が出す声ではないと、慌てて口元を引き締める。
やめるも何も、何のことだか分からない。
きょとんと彼を見詰めていると、眉根を寄せたまま彼が切々と説得し始めた。
「確かに筒井くんは大したもんだ。何しろあのバカと曲がりなりにも友人――ヤツとの関係をこう評するもおぞましいが――友人として付き合えるくらいだからな。根性も座ってるし、度胸もある。順境能力も高い。野球に関してはストイックに打ち込んでいるが、野球しか見えないというわけでもなく……」
わたしを置いて、延々と話し出しそうな様子に、戸惑いと怒りを感じた。
何を勝手に勘違いしているんだ、この人は。
わたしの好きな人は―――……。
「ええと……まず、わたしの話聞いてくれますか?」
ぴしゃりと声を張り上げると、少し驚いた顔をして、彼は口を噤んだ。
ひとつ、大きく息を吸い込む。
「わたし、別に筒井くんのこと何とも思ってません。第一、会った事もない人ですし。そりゃ、テレビ越しに素敵だなぁーとは思いましたけど、可愛いなぁとも思いましたけど。でもそれって、年下の男の子達が一生懸命汗水たらしてひとつの事に打ち込む姿が可愛いってことで、筒井くん個人に限定した特別な感情はないです。あくまで一般論の範囲内ですから。それに、わたしの好きな人はクラフトさんです」
・
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一息に啖呵を切った後に、静謐が満ちた。わたしと彼は、真正面から目を合わせながら固まっていた。
「………っ!!!」
勢いに押されて、さらっととんでもない事を口走ってしまったことにようやく気付いた。
ひーっ!!!!
今すぐ消え去りたいっ!
羞恥で涙さえ滲んできた。彼のことが、見れ、ない。
彼は、どんな表情をしてるんだろうか。
わたしの気持ちをどう思うんだろう。
怖くて、顔を上げれない。唐突に落ちた沈黙が居た堪れなくて、わたしはスカートの上でぎゅっと拳を握った。こんなに緊張したことなんて ない。
冷や汗がだらだらと脇下を伝い落ちていく。急激に上昇した血液が、一気に落ちて、緊張感に吐き気がした。
何を言えばいいのか分からなくて、でも、このまま沈黙を続けるのも嫌で。
恐る恐る、言葉を彷徨わせる。
「…クラフトさん……あの、」
えいやっと覚悟を決めて、面を上げる。泣きたいくらい怖かったけれど、それは紛れも無く本心だったから、逃げることは出来なかった。何より、逃げたくなかった。
彼にとって迷惑でも、『好き』の気持ちは本物だから。
決死の想いで見詰めた先には―――顔を俯けて、口元を覆った彼がいた。
俯いているうえに、口を覆っているせいで表情が殆ど分からない。
低く唸って、聞き取れないけれど小さく何か呟いている。
ああ、彼を不快にしてしまったのだと、絶望した。大げさかも知れないけど、恋する乙女にとっては、相手の一挙手一投足で一喜一憂するもの。塞ぎこんだ気持ちで「忘れてください」と言うのが精一杯なくらいショックだった。
「………無理だ」
ポツリと返された言葉に、心臓が引き絞られる。
もう以前のように彼に会えなくなるのだ。
元々、何のつながりもない他人同士。会おうと努力しなければ、すぐに道は違えてしまう。
「オレは、忘れるつもりなんてないぞ」
それは、予想外の言葉だった。
「………クラフト、さん?」
期待と不安で心が跳ねる。祈るようにそっと見上げた先には―――耳まで真っ赤にしながら、片手で口元を覆ったままの彼が、困惑したような瞳をしていた。
「先をこされて情けないが、聞いてくれるか?」
わたしは頷く。
鼓動が狂ったようなリズムをたてている。カッと頬が焼け、血液が一気に昇る。下がったり、上がったりと今日のわたしの血液は大分忙しない。
「―――が好きだ」
一言一句、大切そうに告げられた言葉たちは、嘘なんかじゃないと信じられる。
「だから、覚えていてもいいだろうか?」
真剣な眼差しで、緊張に微かに強張った声で告げられた内容に、嬉しくて切なくて、心臓は益々痛くなった。
「わたしも、クラフトさんが好きです」
さっきはさらりと言ってしまったけれど、今度はゆっくり、大切に、一語一語つむぐ。
正体不明で、どこか異常で異質で、不器用で損ばかりする人。
この人が、わたしの好きな人。
面映い気持ちで見上げると、彼は顔を片手で覆って上を向いていた。
「あー……情けない」
身長差がかなりあるので、彼の表情は完全に窺えない。だが、露になった首筋も、耳たぶも、綺麗に真っ赤に染まっていた。
「変な勘違いして、すまなかった」
今度こそ本当に想定外の発言だ。わたしは笑いを噛み殺すのに苦労しなければならなかった。
こんなときまで律儀な人。
そんな所が、可愛くてしょうがない。
青春まっさかりの高校球児などよりも、わたしにとっては不器用で正体不明の怪しいこの人のほうが可愛く見えてしまうのだ。
―――嗚呼、ほんとうに、かわいくてしょうがない。
嗚呼、かわいい人
クラフト隊長が好きです。
それにしても、めちゃくちゃ難産でした…。
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