偶然入ったファミレスで、顔見知りの男を見つけては大きな衝撃を受けた。
 買い物に一人で出掛け、空腹を満たすために一人でも入れるような店をと選んだファミレス。チェーン展開しているそのファミレスは、味はそこそこなのだが何よりもどんな物が出てくるか分かる安心感がある為に入りやすい。服のつまった買い物袋をソファに置いて、出されたお冷を飲んで人心地ついていると、その男が目に入った。
 こんな場所には相応しくないような男。
 それでいて、こんな場所に居ることもさもありなんと、思わせる男だった。

 総括してみれば、不可解で気紛れでミステリアスな―――極上の危険物。

 裏の世界でそれなりの名を売っているから見ても、イカレテる男だ。何の頓着もなく人を殺し、欲しいものならばどんな犠牲を生み出しても後顧にしない。そのくせ、手に入れてしまえばあっという間に飽きてしまう。僅か2日で、200人の警備を殺した上で手に入れた宝石を売り払われたときは、この男は『盗むために盗む』のだと思った。
 盗物専門の、卸との中継者であるは何度か旅団との仕事をしたことがある。他のどの盗人が流す品物よりも、高価な珍品を流してくれる上得意であった。
 中堅プロハンターと張る強さを持つから見ても、呆れるほどの強さを持つ男だ。
 本気でかかってこられたら、確実に仕留められるだろう。それこそ、命乞いする間さえなく。
 そんな危険な男が、チカチカする程明るいファミレスの中で、少女と向かい合って座っている。手に持つ安っぽいメニューを少女のほうへ向けているのはもの凄く違和感を感じる光景だった。
 そう思うのはだけではなかったようで、視線の先にいる二人組みは結構な広さを誇る店内にいる客たちからも注目されているようだ。

 男の名前はクロロ=ルシルフル。幻影旅団というA級賞金首だ。
 ブラック・リストハンターからすれば垂涎の的である男は、追われている様子など微塵も見せず、悠々とくつろいでいた。
 撫で付けられたオールバック、上から下まで黒に覆われた服装。額に刺し入れられた、十字架。長身でバランスの良い肢体の上に、小さな輪郭の整った顔がのっかっている。
 人目を惹かずにはおられない男だ。他のどんな人間とも違う。

 静謐に深く、底がない漆黒。

 恐ろしい男。それでも、惹き付けられずにはおられない男。
 そんな男と相対する少女は、どこにでもいそうな平凡な容姿をしていた。
 黒い髪、黒い瞳、黄みがかった肌の。少し可愛い、取り立てて目立つところの無い若い女。
 強いて特色をあげるとすると、真っ直ぐに伸びた肩を越す長い髪と、大きな瞳だろうか。
 オーラは垂れ流し状態で、念能力者とも思い難い。美貌を誇る女でもない。裏の世界に身を置く者の独特の臭気もしない少女は、強張った表情でメニューに視線を落としていた。キリキリとした緊張がこちらにまで伝わってくるようで、こちらまで胃が痛むような錯覚まで抱いてしまう。表情を隠すのが不得手な、あまりにもストレートに露にされた感情に離れた距離にいるでさえも分かってしまうのだから、近距離で対峙しているクロロが気付いていないはずもないだろう。

 彼女は、怯えている。―――クロロ=ルシルフルに。

 それも無理もない事だろう。平和な世界に生きてきた一般人にとって、彼はあまりにも毒が強すぎる。
 少し勘の良い者ならば、一般人であっても彼の怖さを本能的に理解するはず。少女が萎縮するのは当然だった。
 思わず興味をそそられて、聞き耳を立ててしまう。あのクロロが、どうして一般人の少女と一緒にいるのか。どうしてファミレスなんぞ不釣合いな場所にいるのか、猛烈に好奇心をそそられた。
 もし、隠れて様子を窺っていたことがバレたなら……とぞくりと背筋を戦慄が走るが、欲求を押し止めることが出来なかった。好奇心は猫をも殺す。人間は猫よりも好奇心に弱い生き物なのだ。

『何を食べたい? 好きなものを選んで良い』

 冷ややかで、ぞっとするほど甘い声。声をかけられた少女は、メニューに向けた視線を落ち着き無く上下させる。きゅっと唇を結んだままの少女に、クロロはゆっくりと首を傾げる。

『どうした? 腹は減っているのだろう?』

 少女は大きな瞳を微かに潤ませ、困惑した表情をしていた。
 武器など握ったことのないだろう手が、コップを持ち上げごくりを水を飲む。緊張で咽喉が渇くのか、少女は水を勢い良く飲み干すと口を開いた。

『……ジ、ワカル、ナイ』

 言葉を覚えたての赤子のようにたどたどしい発音。公共言語を話せない人間は、今の世界には殆どいないに違いない。

(いったい何処で暮らしてたら言葉が分からないなんてある?)

 魔獣ですら、公共言語をしゃべるというのに。

『ああ……そうか。悪かったな。肉は食えるか?』

 クロロは僅かに唇の端を持ち上げ、メニューの写真を指差した。今度は英語で『Can you eat meat?』と、問うと、口に運ぶジェスチャーをする。

『クエル……ニク? ………meat…Yes,I can.』

 こくこくと頷くと、少女はほっと表情を緩めた。ガチガチに緊張していた肩の力が少し抜け、自然体に近くなる。

『オレと同じものにするぞ。I order your menu, a thing same as me.』

 そんな彼女の表情を見て、クロロは目を細めた。まるで、眩しいものを見たかのように。
 ゆっくりと一語一語はっきりと幼児に話すような話し方は、彼女に合わせているのだと分かった。
 クロロ=ルシルフルが興味もない人間に歩調を合わせることなどしないだろう。………つまり、それだけの価値がこの少女にはあるのだ。

『……O.K. アリガト』

 小さく、花が咲くよう微笑みを少女は浮かべた。
 恐怖は完全には消えていないのだろう。少女の身体は、未だに緊張したままだ。しかし、その瞳に浮かぶ感情は、甘い蜜のようだった。
 それは、恋をしている者の瞳だった。

(この娘、あの男の事が好きなのね)

 哀れむような気持ちが浮かんだ。並みの女に手に負えるような男ではない。
 そんな外野の考えは知らず、男はゆっくりと手を伸ばし、少女の髪に付いたゴミを払った。少女は頬を赤らめ、礼を言う。
 けれども、は気付いた。ゴミなどついていなかった事を。幻影旅団の団長ともあろう男が、言い訳を作らなければ女一人に触れられないのだ。
 その事実に気付いて、は溜め息を吐いた。
 それならば、理由など一つしかない。

(う、わ―――っ!)

 次の瞬間、心臓が止まるかと思えるような殺気を向けられて、必死に息を吸う。喘ぐような呼吸を数度繰り返して、目を上げると、冷たい瞳をしたクロロと目が合った。
 多分、彼女がいるからなのだろう。あからさまな殺気ではないが、それでも十分に心臓に悪い類のものを向けられて、泣きたくなる。
 恐怖に、カチカチと奥歯が鳴った。

 男の唇が無音で言葉をつむぐ。


 ―――『 ワ ス レ ロ 』


 激しい勢いで頭を上下させ、殺気が緩んだ隙にテーブルの上に注文以上の金額を置いて、置いていた買い物袋を引っ掴むと店を飛び出した。







「とんでもない目にあった……」

 店から200メートル以上離れて、ようやく人心地つく。
 今まで相対していた彼が、どれだけ加減していたのか『敵』として認識されていなかったのかを知った。あの殺気、逆らう気など微塵も起こらなかった。

(それでも、手加減されてるんだろうけど)

 彼が本気を出せば、動く事すら不可能だっただろう。圧倒的な力量の差を実感して、未だに身体は冷えている。見逃してくれたのは幸運だった。
 死の恐怖を感じながらも、は心のどこがが喜んでいるのを感じた。
 いつ会えるかも分からない男だ。今日会えたのは偶然が運んでくれた不幸中の幸い―――と、言えるかは微妙だが。
 過ぎてしまえば、恐怖はじょじょに薄れ、やはり姿を見れた喜びが勝る。
 自分に到底手に負えるはずがない男を、それでもは欲していたのだと気付いた。

(まったく、なんて失恋)

 くすくすと笑いが漏れる。
 不可解で、不思議で、ワクワクしていた。子どもが下らないガラクタでも宝物に感じて沸き立つように、もお宝を間近でこっそりと見たように心が弾んでいた。
 雨が降って人通りが少ないことが幸いだった。道の真ん中で、突然一人で笑い出す女など危ない人に思われるに違いない。
 雨に濡れて、シャツが、髪が肌に張り付く。雨音と、ぴしゃぴしゃ跳ねる水の感触は、日常と少しだけ趣きを異にしていて、何だか楽しい。信じられないものを見たことと相まって、現実離れしてた。
 水に映る月のように、手に入れることなど出来ない存在。触れれば、身の破滅を招くような恋を、無意識のうちにしていたのだ。自分も中々やるではないか。
 失恋したというのに、切なさも悲しみも殆ど感じなかった。
 それよりも、先ほど見た男と少女の姿が鮮烈に心を占める。

(なんて皮肉で醜悪で無垢な恋なんだろう!)

 醜悪だからこそ美しい極上な蜘蛛が、一人の少女に恋をした。
 神の授けた皮肉でシュールな運命を、自身の叶わぬ恋を、は哀れみ、そしてこの上なく賛美した。







雨に謳えば





2007/06/10

謳う=強調、賛美
クロロのお相手の少女は、『まるで、溜め息のように』のヒロインです。出会った頃の二人。